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ペルシャとアラブ

よしをです。

イスラエルとイランは、政治、軍事的に敵対関係にあります。

イスラエルは、イランによる、シリアやレバノンヒズボラ支援を強く非難し、

核開発疑惑についても、警鐘を鳴らしています。

一方、イランでは、イスラエル核武装を危険視し、

パレスチナ人への弾圧を、厳しく批判しています。

しかし、歴史をたどると、2500年以上前、

ペルシャは、イスラエルの恩人であり、救世主だったのです。

 

ヤコブから始まったイスラエル民族は、

エジプトにおける、400年もの間の奴隷生活の後、

モーゼに率いられて、出エジプトを果たして、カナンに入りました。

後に、サウル、ダビデ、ソロモンの三王時代になって、

イスラエル王国は絶頂期を迎えますがが、

人びとが神の教えに従わなかったため、王国は南北に分裂し、

イスラエルは、アッシリア帝国の捕虜となり、

ユダ王国は、バビロニアネブカドネザル2世に征服されました。

 

キュロスは、紀元前600年ごろ、

ペルシャ国王カンビュセス1世の王子として生まれました。

当時のペルシャ王国は、

メディア王国に従属する小国に過ぎませんでしたが、

キュロスが王となるや、メディア王国に反旗をひるがし、

ついにはメディア王国を征服しました。

その後、キュロスは、リュディア、エラムバビロニアを征服して、

アケメネス朝ペルシャの初代国王キュロス2世となり、

ユダヤ人をはじめとする諸民族を、バビロン捕囚から解放しました。

 

キュロスの軍隊は、アタナトイ(不死隊)と呼ばれ、

ペルシャ人、メディア人、アッシリア人、モスコス人、エチオピア人、

スキタイ人、インド人などから成る、多民族混成部隊でした。

精鋭の重装部隊というよりは、人海戦術で敵を圧倒する戦術で、

のちにマケドニアアレキサンダー大王に破れるまで、

ペルシャ帝国は、中東世界の覇王であり続けました。

 

キュロスは、被征服民族に対する寛容さから、

後世に、理想的な君主として仰がれました。

とくにユダヤ民族の評価が高く、

旧約聖書では、メシア(救世主)として描かれています。

紀元前538年、キュロス2世は、

バビロニアから取り戻したエルサレム神殿の宝物を、

ユダヤ人に返還し、

かれらをエルサレムに帰して、神殿の再建を命じました。

 

現代のイランでも、キュロス2世はイランの建国者とされています。

ただし、キュロスは、正確には、イラン人ではなく、ペルシャ人の王です。

狭義では、イラン人のなかでも、

ペルシャ語母語とする人々を、ペルシャ人というべきであり、

あるいは、広義でペルシャ人を規定するならば、

ペルシャ帝国が、最盛期を迎えた頃の版図で暮らす、

イラン・アーリア系の人たちを指すことになります。

狭義の分類でいえば、

現代のイラン人の60%が、ペルシャ人であるとされています。

 

われわれが、しばしば混同してしまうアラブ人とは、

人種的には、コーカソイドからネグロ系まで、

幅広い人種を包括する概念であり、

共通言語である、セム語系のアラビア語を使う人びとを指します。

 

混乱が続く中東世界において、

アラブ人がユダヤ人と和解することは難しいと考えますが、

誇り高きペルシャ人に、ぜひ、地域平和を取り戻してほしいのです。

かつて、イラン・イラク戦争では、

イランが、アメリカとイスラエルの盟友だった時代もあるのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。