さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

きれいごと

よしをです。
日本の社会は、目先のことや部分的な現象に関して、
情緒的になりすぎる傾向があり、
大局に立った戦略が立てづらい社会だといえます。
戦後教育の弊害か、日本では、全員がハッピーでなければなりません。
畢竟、どこかからの不満が、過大にクローズアップされる傾向があり、
「1を棄てて9を取る」、という戦略が立てられず、
つねに、八方美人的な対応をせざるを得なくなります

以前、このブログで、クルーズ船の3000人以上の乗員乗客に対して、
なぜ、政府が全員を下船させないのか、全員を検査しないのかについて、
検証してみました。
その結果、すでに感染している人については、
あえて、船内で発症させてから、下船させて隔離し、
一定期間留めおいて、感染が認められない人については、
グループに分けて下船させ、隔離することが、合理的だと結論付けました。
つまり、この船の対策だけに注力しすぎると、
やがて発生すると予想される、市中での感染拡大への対処が、
できなくなってしまう危険があったからです。
下船してから亡くなった方もいるので、大変お気の毒ですが、
100%誰もが満足できる対策というのは、現実的にできないのです。

武漢での疫病発生が発覚してから、中国との人の往来を制限しなかったため、
日本国内での疫病発生が止められませんでした。
政府が、渡航制限による、経済的な影響を重視していたことは確かであり、
結果的に、政府の初動対策が大失敗だったことには疑いはありません。
テレビのワイドショーでは、
コメンテーターとともに、多くの感染症の専門家が登場して、
事前事後の政府の対応について苦言を呈しています。

シロウトのコメンテーターとは違い、専門家は正しい指摘をしています。
しかし、指摘が正しいといっても、その通りにできないのが実情です。
それは、政府の怠慢でも無能でもなく、
現実的に、そのような対応ができないのです。

クルーズ船については、
たったひとりの感染者から、船内で二次、三次感染を重ねて、
現時点で、600人以上の乗客に感染が広がりましたが、
それは、専門家ですら、予測できないほどの強力な感染力であり、
さらに、市中感染が広がり、誰もが予想できない事態になりつつあります。

アルベール・カミュの長編小説「ペスト」は、
圧倒的な破壊力をもつ疫病ペストが市民を襲う、不条理を描きました。
市民は、圧倒的な自然の不条理を受け入れざるを得ず、
大きな犠牲を払って、ペストに打ち勝ちました。
われわれも、アルジェリアの市民たちがそうしたように、
一致団結して、最終的な破滅から逃れる知恵を集めなければなりません。

せめて、マスコミには、
きれいごとを並べたり、政府を批判することはやめてほしいのです。
そんなことは、とっくにわかっていることです。
ウイルスに打ち勝つためには、犠牲を覚悟しなければなりません。


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巌流島あるいは岸柳島

よしをです。
7世紀の古代マヤ文明では、すでにタバコが吸われていました。
15世紀にアメリカ大陸が発見されて、
インディアンが吸っていたタバコが西欧に持ち込まれました。
当初は、タバコは観賞用、もしくは薬用として栽培されましたが、
やがて嗜好品として、世界中に広がりました。

日本へは、室町時代末期、もしくは安土時代に、
ポルトガルの宣教師が持ち込んだとされています。
江戸時代初め、喫煙やタバコ耕作は、失火や風紀の乱れ、
穀物の耕作の妨げになるなどの理由で、禁じられましたが、
禁令下でも流行していったため、容認されるようになりました。
江戸の町では、歩きたばこは禁止され、
江戸城内では基本的に禁煙でしたが、喫煙所が設けられました。
現代よりも、数段、喫煙マナーは整っていたようです。

江戸時代の喫煙スタイルは、刻みタバコをキセルで吸うものでした。
キセルやタバコ盆、煙草入れなどの喫煙具に工夫が凝らされ、
装飾品として発展するなど、独自の喫煙文化が発展しました。

タバコはナス科の植物で、習慣性のもとの成分は、ニコチンです。
ニコチンは、人間の脳のアセチルコリン受容体に作用して、
ドーパミンを出す働きがあります。
ドーパミンが出ると、「快」な状態になるので、気分が落ち着きますが、
ニコチン摂取を続けていくと、
体が、アセチルコリン受容体の働きを抑えるようになります。
すると、タバコを摂取しない状態では、ドーパミン不足となり、
イライラしたり、不安症状が起こります。
これがニコチン中毒の症状です。
江戸時代から、タバコの健康問題は知られていて、
貝原益軒の「養生訓」には、タバコの毒性や習慣性の記載があります。

ニコチン中毒から脱するのは、簡単ではありません。
喫煙せずにニコチンを摂取できる張り薬や、
タバコを不味く感じるガムなどが発売されていますが、
最終的には、自分の精神力でタバコを絶つしかありません。

また、タバコを吸うという行為には、一定の意味付けがあります。
箱から取り出し、ライターで火をつけ、灰をトントンと落とし、
吸い終わって消すという、一連の動作について、
喫煙者は、考え事をしながら、あるいは、リラックスのために、
これらの動作を、ほぼ無意識でおこなうのですが、
禁煙するというのは、この一種の生活リズムを絶つことであり、
タバコを吸うことと同様に、辛さを感じるのです。

浅草の厩橋の船着き場で、渡し船が出ようとすると、
いかにも粗暴そうな若い侍が、乗り込んできました。
出発してしばらく、侍は高価そうなキセルでタバコを吸い始め、
キセルをポンと、船べりに打つと、
銀製の雁首がぽろっと外れて、川に落ちてしまいました。
侍は、船頭に「船を戻せ」などと無理難題をいい、やがて落ち着きますが、
憤懣やる方ない表情です。
そのやりとりを見ていた屑屋が、
雁首が外れて不要になったキセルを買い上げたいと切り出します。
一度はおさまっていた侍の怒りが再燃し、屑屋を切り捨てぬばかり。
そこで、供を連れた初老の武士が仲裁に入りますが、
侍はますます激怒し、老武士に決闘を申し込みました。
老武士はやむなく勝負を受け、他の乗客に迷惑がかかるので、
川の中州で勝負しようと持ち掛けました。
船が中州につくと、老武士は、侍を置いて、船を岸から離してしまいます。
乗客は拍手喝采です。
皆、侍の傍若無人な振る舞いに不満を感じていたのです。
ところが、侍は着物を脱いで刀を背負うと、
川に飛び込んで、船を追いかけてきます。
老武士が槍を構えると、侍は船べりに顔を出し、
「落とした雁首を探しに来た」。

キセルは、かれの自慢の品だったのでしょう。
見つかる可能性はないのに、思わず川に飛び込んでしまうほど、
なくしたことが、よほど悔しかったのでしょう。
わたしには、若い侍の気持ちが、よくわかります。

ちなみに、決闘相手を置いてけぼりにするエピソードは、
ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にも採用されています。
こちらは蛇足にて。


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憲法解釈と庶民感覚

よしをです。
西山事件は、1971年のアメリカとの沖縄返還協定に関して、
取材で知りえた機密情報を、国会議員に漏洩した事件で、
毎日新聞政治部の記者の名前を冠して、このように呼ばれます。

沖縄返還協定に関して、
アメリカ政府が支払うとされていた地権者への補償金を、
日本政府が肩代わりするという情報を、毎日新聞の西山記者がつかみ、
社会党の議員に漏洩しました。

政府は、当該の情報を否定するとともに、
西山記者は、外務省事務官(女性)に近づき、
不倫関係となって、機密情報を聞き出したとして、
女性事務官と西山記者を国家公務員法(機密漏洩、教唆)で逮捕しました。

報道の自由を盾に、取材活動の正統性を主張していた毎日新聞は、
世間の非難を浴びることになりました。
毎日新聞は、この事件をきっかけに、発行部数が減少し、
おりからのオイルショックによる広告収入減もあって、
まもなく債務超過に陥り、一度は倒産の憂き目をみるなど、
同紙の長期の低迷につながりました。

法律系の試験で、
西山事件憲法問題のテーマとして、多く取り上げられています。
争点は、報道機関が取材目的で公務員をそそのかす行為が、
報道の自由」によって保障されるかという問題です。

憲法の解釈は、
報道機関が秘密を漏洩するようにそそのかしても、
直ちに違法にはならず、
取材対象者の人格の尊厳を蹂躙するなど、その手段や方法が、
社会通念上是認することのできないものである場合は、
違法性を帯びる、というものです。

一般常識としては、
漏洩をそそのかす行為が、正当だとは考えづらいのですが、
憲法は、それを容認しています。
「取材」というものに、優位性を認めていることがわかります。
しかし、西山記者の行為は、女性の尊厳を蹂躙するもので、
社会的に是認できる手段ではないため、
正当な業務行為の範囲を越えているとして、有罪となりました。

なんとなく、すっきりしない決着です。
どこまでが、人権蹂躙になるのかが、よくわからないし、
その基準は、庶民感覚とズレているようにも思います。

省庁の事務官が、新聞記者と私的な接触をし、
ましてや不倫関係におよび、機密情報を漏洩するという行為には、
ある程度の主観性があるわけです。
薬物を使って自白されられたとか、強姦されて脅されたならともかく、
同意の上の肉体関係であり、お互いに既婚者でもあったのです。

実際におきていることは、法解釈よりも少々微妙です。
こうして考えをすすめていくと、ますます合格が遠く…(汗)。

憲法21条は、報道の自由を認めていますが、
取材の自由については、「尊重する」に留めています。
試験問題の場合、ちなみに、ここがポイントになります。


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クルーズ船の政府の対応は間違っていたか

よしをです。
イギリス船籍で、アメリカに本拠を置く外航クルーズ客船、
ダイヤモンドプリンセス号(以下DP号)は、
2014年以降、アジアとオーストラリアでクルーズを運行しています。

DP号で発生した、
新型コロナウイルス(以下武漢肺炎)の集団感染に関する、
日本政府の対応に、注目や批判が集まっていますが、
ここまで判明している事実関係から、何が問題なのか、
病理医学や検疫についてシロウトであることを前提にして、
個人的に推測してみることにします。

船は、横浜港を出発し、
鹿児島、ベトナム那覇、香港に寄港し、
横浜に戻るルートを辿りました。
香港出身の男性が、中国広東省を訪問し、空路で東京に入りました。
その時点で、すでにせきなどの症状がありましたが、
横浜港からDP号に乗船して、症状が悪化しています。
男性は、香港で下船し、医療機関で検査を受けた結果、
武漢肺炎に罹患していたことが判明したのです。

まず、確認しておきたいのは、
感染者の乗船履歴が判明したのち、横浜港に入港するまで、
DP号は、自主的な対応をおこなっていたということです。
おそらく、集団感染の可能性を想定しなかったのでしょう。
感染者を下船させたことで安心して、
横浜港に入港するまで、
船内では、ダンスパーティなどのエンターテインメントや、
バイキング方式の食事が、通常通り提供され続けていました。
その後、二次感染者が現れましたが、
現実問題として、スペースに限りのある船内で、
患者を完全に隔離することは難しく、
乗務員は、食事や清掃などのサービスを維持する必要がありました。

現在、爆発的に肺炎患者が増えているのは、
潜伏期間を勘案すると、横浜入港以前に感染した人びとの多くが、
発症し始めたと考えるのが自然です。
それを裏付けるように、
国立感染症研究所による、現場からの概況の発表(2月19日)によると、
暫定的な結論として、発症が判明している感染者のほとんどは、
日本政府による検疫開始以前に罹患したものだとしています。

最近のマスコミの論調などをみると、
乗員乗客を全員下船させて、
検査をおこなうべきという主張が多いですが、
わたしは、そうは思いません。
解説者やコメンテーターなどは、
想像以上の感染拡大という、結果論で騒ぎ立てているだけで、
現実を直視しようとしていません。
3000人以上の人間を一気に収容できる、
滅菌隔離が可能な個室など、確保できませんし、
それに対応する、感染病専門医の数にも限界があります。

したがって、潜伏期間の病人は、船内で発症させてから、
下船して隔離し、
一定期間、感染が確認されなかった陰性の乗員乗客は、
小分けにして、順次下船して隔離するという方法は、
残酷なようですが、合理的だったと推察します。

当初から、全員下船、全員検査をやらず、
船内待機の方針で臨んだことについては、
ほかの理由もあると考えています。
政府は、DP号の対応に集中することが危険だと考えているのです。
いずれは、国内いたるところで、市中感染が一般的になるため、
医療従事者や病室を、確保しておく必要があるのです。
DP号で、さらに感染が広がったとしても、
とりあえず、船内のパンデミックに留めておけば、
影響は船内に留まり、船外への感染拡大は防げるわけです。

個人的な結論は、
今回の船内汚染の原因は、DP号の対応のミスだということです。
しかし、前述のように、
ひとりの感染者(今後の調査で複数存在した可能性もあります)から、
このような、爆発的な船内パンデミックが発生する事態など、
だれもが予想できなかったわけであり、
DP号の対応を、危機管理意識の脆弱さとして、
一方的に責めるのも酷だと思います。

政府の関係者が、マスクや手洗いなどの対策をしていたにも関わらず、
乗船して数日で発症する事例も現われました。
船内感染を繰り返すことによる、ウイルスの感染力の強化や変質など、
事態は、あらたな展開にすすんでいるのかもしれません。
船内感染で亡くなられた方は、まことに気の毒ですが、
武漢肺炎の感染力の強さや、
有意義な知見やサンプルを得られたことは、大きな収穫です。


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きょうは猫の日

よしをです。
2月22日は、「にゃんにゃんにゃん」で、「猫の日」です。
多くの研究者によって、猫のDNA分析の研究がすすみ、
イエネコ(いわゆる猫)は、リビアヤマネコを起源とし、
リビアヤマネコの時代から、遺伝子はほとんど変わることなく、
現在まで続いていることがわかっています。

人間が、ヤマネコを家畜化したのではなく、
ヤマネコ自身が、人間と生活を共にする道を選び、猫となりました。
猫が人間と暮らし始めたのは、
紀元前3000年ごろのエジプトを起源とする説が有力でしたが、
地中海のキプロス島にある、シロウカンボス遺跡で、
紀元前7500年ごろの墓から、猫の骨が発掘されたことで定説が覆り、
現在のところ、これが最古の猫の飼育例といわれています。

古代ルーマニアの猫、エジプトの猫のミイラ、現代アフリカの山猫など、
過去9000年間に存在した、200体以上の猫のDNAをおこなった結果、
現代の猫につながる系統には、
ふたつの遺伝子グループが存在することがわかりました。

ひとつは、エジプトを起点に、地中海世界に広がったグループで、
もうひとつは、バビロニアにルーツをもち、東方に移動したグループです。
いずれも、当初は、穀物の天敵である、ネズミを退治するために、
人が共生を認めたと考えられています。

エジプトでは、猫はバステト女神として神格化され、
輸出が禁止されていましたが、
ギリシア人やフェニキア人の商人が、ローマなどに密輸し、
古代ローマでは、高貴な人びとのペットとして寵愛されました。
ローマ軍が、ヨーロッパ遠征をした際に、
食料をネズミから守るために、猫を連れていったところ、
脱走した猫が、ヨーロッパ全土に広がりました。

バビロニアのグループは、
シルクロードの交易とともに、ユーラシア大陸を東にすすみました。
猫は商人とともに、大陸を横断し、中国を経由して、
日本へは、仏教伝来とともに、6世紀ごろ入ってきました。

日本の書物に、初めて猫が登場するのは、
8世紀に、景戒が記した「日本霊異記」です。
この書物のなかで、慶雲2年(705)の出来事として、
豊前国(現在の福岡県)の膳臣某の言葉に、「狸」の表記があり、
景戒が、「禰古(ねこ)」という注釈をつけています。

平安時代になると、
高貴な人びとのペットとして愛玩されるようになり、
宇多天皇の日記「寛平御記」には、
父親の光孝天皇から、黒猫が贈られたという記載があります。
これが、日本最古のペットの猫の記録だそうです。

13代将軍徳川家定に嫁入りした篤姫は、
ミチ姫、サト姫という2匹の猫を飼っていました。
ミチ姫は、ほどなく死んでしまいましたが、
サト姫の方は、16年生きたということです。

世界を見渡すと、
イスラム教を創始したムハンマドが、
猫好きの代表格として知られています。
かれの飼い猫が、服の袖のうえで寝ていたため、
猫の眠りを妨げないように、
袖を切り落としたという逸話も残されています。
ムハンマドが愛した猫が、長毛のペルシャ猫だったのか、
それとも短毛種だったのか、気になるところです。

2系統のルーツをもつ猫に、その後、ささやかな変化が起きます。
それは、「ぶち柄」の毛色が加わったことです。
ぶち柄の猫は、14世紀のオスマントルコ帝国で誕生し、
その後、世界中に広がり、現地の猫と混合していきました。

猫との交流で、気を付けなければならないこともあります。
トキソプラズマ症は、トキソプラズマ原虫による感染症で、
全世界の30%が感染者であるといわれています。
最終宿主はネコ科の動物で、猫の腸管内のみで有精生殖します。
ヒトがトキソプラズマに感染すると、
成人であれば、ほとんど無自覚無症状ですが、
母子感染により、胎児に障害を及ぼすことがあります。

成人であれば、問題はないといわれてきましたが、
トキソプラズマに感染することにより、
反応時間が遅くなって、交通事故に遭う確率が2倍に高まる、
自殺率が増える、
総合失調症や鬱病ADHDパーキンソン病などのリスクが高まる、
という報告が、次々にされるようになりました。
このような報告から、猫は、トキソプラズマを介して、
人間を操っているのではないかという、怪猫伝説も生まれました。

トキソプラズマは、母子感染の病原体であることから、
妊娠中は、猫との濃厚な接触を避けることや、
排泄物に触れないといった対策が重要です。
昔から、妊娠中に猫を飼ってはいけない、という俗説がありましたが、
科学的根拠のある言い伝えだったようです。


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同族企業のお家騒動

よしをです。
国際興業は、田中角栄の盟友であり、実業家の小佐野賢治氏が、
1940年に起業した、自動車部品会社「第一商会」がルーツです。
翌年には、同業の「東京アメリカ商会」の経営に参画し、
両社を合流させました。
小佐野氏は戦時下において、軍部の出入り商として蓄財し、
戦後になると、駐留米軍を相手に中古車販売を手掛け、
「国際商事」を設立しました。
その後も、おもにホテルの買収をすすめ、観光事業に進出しました。
また、東京急行から乗合自動車部門を買収し、
1947年には、商号を、「国際興業」としました。

小佐野氏は、その後、国内では、山梨交通、冨士屋ホテル、
国民相互銀行(のちに破綻)、日本電建(のちに大東建託と合併)など、
海外では、ハワイの複数のホテルを買収し、事業を拡大しています。
ロッキード事件により、
小佐野氏は証人喚問され、実刑判決を受けますが、
その間にも、帝国ホテルの買収に成功しています。

1986年に、小佐野賢治氏が亡くなると、
弟の政邦氏が経営を引き継ぎますが、政治家との繋がりは深く、
東京佐川急便事件に関わる、金丸信の脱税容疑で、
国際興業は、家宅捜査を受けています。

その国際興業で、お家騒動が巻き起こっています。
政邦氏が亡くなると、甥の小佐野隆正氏が経営を引き継いでいます。
現在のオーナーである、小佐野隆正会長を被告に、
小野田政邦氏の遺族が原告となって、裁判で係争中なのです。

国際興業の株式は、小佐野家がほとんどを保有していました。
内訳は、隆正、政邦の遺族、賢治の妻(秀子氏、子どもなし)です。
2000年代になると、国際興業は経営不振に陥り、
メインバンクであったUFJ銀行の貸しはがしにあって、
資金不足に陥っていました。
そこで、会社は、ハゲタカファンドとして悪名高い、
サーベラスグループをスポンサーにして、
会社再建に乗り出すことになりました。

その過程で、株主が一旦、すべての株式を放棄する、
100%無償減資が実施されました。
無償減資とは、会社の累積赤字の補填のために、
資本金で穴埋めすることで、
資本金は減少しますが、会社の純資産には変化はありません。
国際興業の場合、
無償減資によって、資本金をゼロの状態にして累積赤字を解消し、
あらためて、既存株主とサーベラスが出資をして、
資本の組みなおしをする構想でした。

ところが、その裏では、資本金ゼロの状態から、
隆正氏(45%)と、サーベラス(55%)が再出資して、株主となり、
会社を再出発させるという密約ができあがっていました。

隆正氏は、45%の株式を、
わずか4500万円で取得するという荒業を使い、
さらに、国際興業の不動産資産を取り崩して、
サーベラスから55%の株式を買い戻すことに成功しました。

前述のように、無償減資によって、
資本金は一旦ゼロになっても、会社の純資産に変化はありません。
隆正氏は、帝国ホテル、八重洲富士ホテル、浜松町駅前の土地を処分し、
サーベラス保有する55%の株式を買い戻して、
負債がなくなったキレイな状態の、国際興業の100%株主になりました。
また、資産の切り売り後も、
国際興業には、依然として1000億円程度の株式価値があり、
隆正氏は、多額の配当金を受け取っています。

考えてみれば、国際興業は、減資をおこなわなくとも、
会社の保有する不動産の一部を処分すれば、
経営再建が可能だったということになりますから、
ほかの株主は、必要もないのに、権利を放棄させられたことになります。

排除された同族株主の提訴は、本来であれば手放す必要のなかった、
株式価額、総額612億円の返還を求めています。

わたしの会社の取引先企業で、
社長(長男)、専務(次男)で創業した会社があります。
この会社が代替わりして、社長(次男)、専務(長男の子)になりました。
この先、仲良く代替わりをしていければよいのですが…。

同族会社を維持するのも、難しいことのようです。


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不正融資を引き出す悪徳商法

よしをです。
昨今の金融機関の不正融資問題などを受けて、
不動産投資の融資基準が厳しくなり、
各銀行は、サラリーマン投資家に、フルローンを認めなくなりました。

しかし、最近、二重売買契約という手口を使って、
フルローンをつける悪徳業者が、暗躍しています。
二重売買契約とは、不動産販売会社と物件購入者の間で、
取引金額の異なる、二通の売買契約書を作成し、
金融機関から融資を多く引き出す手法です。
二重売買契約というのは、
あたらしい手口ではなく、古典的なものなのですが、
金融機関の融資が厳しくなってから、増えているようなのです。

契約書の一通は、本来の取引価格が書かれてある正式な文書で、
もう一通は、実際より高い金額が記載された、架空の契約書です。
金融機関には、架空の契約書を提出して、
融資審査を受けるという手法です。

金融機関は、賃貸物件への融資をおこなう際、
実際には、物件の担保価値に加えて、実際の入居率や、
融資希望者の属性なども勘案して、融資金額を決定します。

担保価値に対する融資割合を、
60%に設定している銀行があると仮定します。
取引価格が8千万円の物件について、
担保価値を8千万円と評価した場合、融資上限額は4800万円です。
一方で、取引価格1億3400万円の架空の契約書を銀行に提出し、
担保価値が額面通りに評価された場合、
8千万円の融資を受けられることになります。
つまり、この場合、融資希望者は、
8千万円のフルローンを受けられることになります。

これには2つの問題があります。

まず、架空の契約書を金融機関に提出する行為は、
私文書偽造になるということです。
最悪、銀行からの融資が中止される可能性があります。

もうひとつの問題は、
過剰な融資を受けることになり、返済の負担が増すことです。
たとえば返済期間を同じとして、
4800万円を借り入れた場合と、8千万円を借り入れた場合では、
返済額は、当然ですが倍近く異なります。

二重売買では、さらに巧妙な手口も使われています。
業者が、本来の売買価格よりも高い金額の契約書を作成し、
金融消費貸借契約と決済の間に、覚書を取り交わします。
覚書には、
「売主と買主の協議により、契約金額から〇〇円減額する」、
という記載がしてあります。
銀行には、高い金額の融資額を申し込み、
融資が通ってから、契約内容を書き直すという手法であり、
但し書きがあるため、私文書偽造に該当しないというのです。
(もちろん、これも詐欺行為に該当します)。

悪徳業者は、物件の入居率をごまかすために、
レントロールを偽造することも躊躇いません。
入居を装うために、
郵便受けに架空のネームプレートを書いたり、
部屋にカーテンをかけておくといった小細工をおこない、
銀行の審査をごまかそうとします。

このような手口で、金融機関を騙して融資を引き出すのですが、
契約さえ取れれば、こちらのものとばかり、
業者は物件を売りっぱなしで、その後は一切フォローしません。

フルローン融資を受けられたことで、
「自己資金が必要なくなった」、などと、安心していると、
返済に耐えられず、一気に破綻する可能性があります。
もともと、その物件は、4800万円の信用しかないと、
銀行が認定しているのですから、
8千万円の返済に耐えられる収益力はないのです。

二重売買が発覚すると、その不動産取引業者は、
融資元の金融機関から、出入り禁止になるだけでなく、
当該の金融機関以外にも、ブラックリストが回るのが通常です。
しかし、これらの業者は、会社や代表者の名義を変えて、
何度でも蘇ってくるので、きりがありません。
買手側も犯罪行為に加担することになることを、
自覚しなければいけません。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。