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鬼平と出世

よしをです。

 

鬼平(鬼の平蔵)といえば、

池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」でお馴染みですが、

江戸時代の実在の旗本、長谷川平蔵をモデルにしています。

 

長谷川平蔵は延享2年(1745年)に旗本の長男に生まれ、

火付盗賊改役となり、

重大犯罪である、放火、強盗、賭博を取り締まりました。

 

青年時代は、放蕩無頼の遊び人でしたが、

30歳のとき、父の死をきっかけに家督を継ぎました。

遊郭へ通い詰めるなどして、父の遺産も使い果たしますが、

江戸城詰の警護役を振り出しに、仕官後は順調に出世し、

42歳のときに、火付盗賊改役に任じられました。

 

石川島に、犯罪者の更生施設である人足寄場を設置して、

評価を受けますが、

予算の増額が認められないとなると、

自ら、銭相場で資金を得るなどの、非合法な手段もいとわなかったため、

上役である松平定信には、毛嫌いされていたといいます。

定信は自伝において、

平蔵のことを、「長谷川某(なにがし)」と蔑称で記し、

その功績は認めつつも、

「山師などといわれ、いわくつきの男」と記していました。

また、同僚も、平蔵のダーティな部分を嫌っていたといいます。

 

ただし、平蔵は、仕事においては、抜群の功績をあげています。

関八州を荒らし回った大泥棒・神道徳次郎一味を一網打尽にし、

江戸市内で強盗と強姦を繰り返した葵小僧を逮捕するなど、

火付盗賊改役として、華々しい実績を残しました。

 

上役の評価は芳しくなく、出世には縁遠かった平蔵ですが、

庶民には非常に人気があったそうです。

平蔵は、ときには出世できないことに対して、

愚痴をこぼしたこともあるそうですが、

越中殿(松平定信)の信頼だけが、心のささえ」と、

勤務に励んでいたといいます。

 

努力して、実績をあげても、評価してくれない上司に対して、

なんとかアピールして、認められたいという気持ちは、

痛いほどわかります。

サラリーマンの悲哀を聞かされるようで、身につまされますが、

平蔵の独白からは、「鬼平」という、スーパーマンではなく、

生身の長谷川平蔵の気持ちが伝わってきます。

 

小説やテレビドラマの影響から、

人生を達観していたようなイメージがありましたが、

決してそのようなことはなく、

平蔵もやはり、現代のサラリーマンと同じ心情をもっていました。

もっと長命なイメージがありましたが、

長谷川平蔵は50歳で亡くなっています。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。