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日教組と戦った、勇気ある女性の死

よしをです。

 

衆議院議員宮川典子氏が、

40歳の若さで、乳がんのため、亡くなりました。

大学卒業後、母校で教員を5年間勤めていた宮川氏は、

地元山梨県日教組(山教組)が、組織力を利用して、

選挙運動をおこなっていることに義憤をおぼえ、

参院選に出馬するも、

日教組のドンとよばれた、輿石東氏に僅差で敗れますが、

衆院選に鞍替えして、山梨1区で初当選し、

以後、比例ブロックで3選を果たします。

宮川氏は、

国会で、歴史教育の正常化や、教員の待遇改善、いじめ撲滅を、

訴え続けてきましたが、志半ばで生涯を終えました。

 

日教組日本教職員組合)は、

憲法9条保持、戦前日本の完全否定、

自衛隊、日の丸、君が代否定、

競争原理の否定などを信条としています。

1989年に、日本労働組合総連合会(いわゆる連合)が

発足した際に、

多くの官公労働組合が、連合を支持する非共産党系と、

連合を支持しない共産党系組合に分裂しました。

日教組も、その流れで、

共産党系の、全日本教職員組合(いわゆる全教)と、

非共産系の、日教組に分裂しました。

なんか、プロレス団体みたいです(苦笑)。

 

したがって、よく、誤解されがちですが、

日教組日本共産党は、非常に仲が悪いです。

ただし、日教組の中枢には、

ラディカルな一派が、根強く巣くっているため、

左翼化傾向に関しては、分裂前とほとんど変わりません。

 

日教組は、教育政策の決定に、

大きな影響力をもってきました。

民主党時代には、とくに影響度が濃厚でした。

前述のように、日教組には、

競争原理を否定する左翼思想が浸透しています。

かれらは、いわゆる、ゆとり教育の推進者であり、

全国一律の試験によって、小中学生の学力を調査し、

教育施策を定めることを目的とする、全国学力テストを、

全国一斉テストから、

抽出試験にして、骨抜きにしてしまいました。

 

自民党政権になって、

表立って、教育政策に介入することは、

不可能になりましたが、

日教組は、教育現場に、依然として影響をもち続けています。

国旗掲揚、国歌斉唱は、

学習指導要領で定められているので、

さすがに、これを無視する学校は、なくなりつつありますが、

日教組教師が、事前に国歌斉唱の練習をしないとか、

式典会場では、国旗を目立たない場所に置くなど、

姑息な嫌がらせがある学校もあるといいます。

日教組は、教育委員会とも密接な関係をもち、

校長や教頭の人事に介入する地域も、

いまだに残っています。

 

もっとも、日教組は、

若い教師の加入率が減っていることなどから、

徐々に、力を落としつつあるのですが、

巻き返しを図らぬよう、注視しなければなりません。

 

宮川氏は、教員時代の教え子を、自殺で失いました。

生徒が、「日本は努力をしても報われない社会だ」、

という趣旨の遺言を残していたことを、国会質疑でも紹介し、

子どもたちが、その将来に夢をもてるような社会づくりを、

訴えてきました。

教師出身の国会議員として、

かつての同僚を批判し、教育改革を訴えてきた、

その勇気のある行動に、わたしは心から敬服します。

 

合掌。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。