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首里城異譚

よしをです。

 

沖縄首里城の火事による焼失は、今回で5回目で、

1453年に起きた、王位継承を争う内乱以来、

火災は、過去に4回発生しました。

 

前回の火災は、1945年の沖縄戦でのことです。

戦後、長らく、城址公園になっていましたが、

1992年に、沖縄本土復帰20周年事業として、

首里城の再建がおこなわれ、

30年以上にわたった復元工事が、ようやく完成したのは、

今年の2月のことでした。

公園一帯は世界遺産にも登録され、

以来、沖縄のシンボルとして親しまれてきました。

 

わたしが気になっているのが、火災前夜に、

当地で準備がすすんでいた、首里城祭というイベントです。

これは、一部では、曰く付きのイベントとして知られています。

 

かつて琉球王国では、あらたに国王に就任する際、

中国皇帝の使者を、首里城正殿に迎え、

皇帝からの任命儀式をおこないました。

儀式では、華やかな衣装や舞踊なども披露されるのですが、

このとき、新国王は、

「三跪九叩頭」という作法をして、使者を迎えます。

どういう作法かといえば、

新国王が、土下座をして、頭を地面に叩きつけるという所作を、

3回×3回の計9回おこなうというものです。

 

頭を地面に叩きつけるうちに、額が血まみれになるのですが、

その姿を中国皇帝の使者に見せて、忠誠を誓ったということです。

つまり、琉球は中国の属国であり、

三跪九叩頭は、中華皇帝の僕であるということを示す儀式なのです。

 

首里城祭でも、

使者を迎える三跪九叩頭の儀式が、再現される予定でした。

歴史を知らない者が、この祭を見ても、

煌びやかな衣装などに目を奪われるだけなのでしょうが、

その意味を知れば、この儀式が、

いかに屈辱的なものであるかを、知ることになります。

賑やかしのイベント自体は否定しませんが、

このような屈辱的な儀式を、公金を投じてやるのは、

どうかと思います。

 

地元では、首里城祭に否定的な意見をもつ人たちがいます。

また、首里城についても、

元々は、このように、漆で真っ赤に塗られた、

きらびやかな御殿ではなかったとして、時代考証を無視した再建に、

白眼視する人がいるのも事実です。

 

琉球と同じように、中華帝国の属国であった朝鮮でも、

朝鮮国王は、首都京城の「迎恩門」で中国皇帝の使者を迎え、

三跪九叩頭の儀式をおこなっていました。

 

日清戦争後、有史以来はじめて独立国となった朝鮮は、

屈辱の歴史の象徴である迎恩門を破壊して、

あらたに独立門を建立しました。

現在の韓国において、

「独立」が、日本からのものであるという誤解が蔓延していることは、

非常に残念ですが、

かれらが、「迎恩門祭」を実施するつもりがないことだけは確かでしょう。

 

翁長前知事の主導で建立された龍柱が、那覇の港に聳え立っています。

中国福州市との友好都市締結30年記念事業として推進されました。

2体の龍柱は、高さ15メートルの巨大なもので、

総工費は3億3千万円、中国産の石材を使って建立されました。

 

中国皇帝のシンボルである龍の爪は5本で、

属国の龍の爪は4本と決められています。

那覇の龍柱の爪は4本。

まさに、沖縄における現代の迎恩門です。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。