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妖怪バスター・源頼光

よしをです。

平安時代中期の武将、源頼光は、
天暦2年(948年、諸説あり)に、源満仲の嫡男に生まれました。
頼光は武道に優れ、
内蔵頭、左馬権頭などを歴任し、正四位下となりました。
藤原摂家との繋がりが深く、のちに美濃守、摂津守を歴任しました。

かれは、若い頃から、超常現象に相対した逸話を多く残しています。
今昔物語によると、
頼光は、御堂の傍で寝ている狐を、東宮の命をうけて、
蟇目の矢で射たという話が伝わっています。

源頼光を有名にしたのは、酒呑童子や土蜘蛛退治の逸話と、
かれに従った、四天王の存在です。
四天王とは、渡辺綱坂田金時卜部季武碓井貞光の4人の武士です。
渡辺綱は、源宛の子、嵯峨源氏の子孫で、正式の名は、源綱です。
坂田金時(公時)は、童話に出てくる金太郎が成人した姿です。
相模国の足柄山に生まれた金時は、頼光にスカウトされて仕官しました。
卜部季武は、正式な名は、平季武といい、
父の卜部兵庫季国が源満仲に仕え、頼光とその母を救った功績で、
頼光に仕えることになりました。
碓井貞光は、平姓とも橘姓ともいわれ、もとの氏は不詳です。
生まれは、相模国碓氷峠付近とされていて、身の丈七丈の大男で、
戸隠神社のお告げで、頼光に仕えました。

ある晩、頼光が、渡辺綱を一条大宮に派遣しました。
その帰り、綱は、
一条堀川にかかる戻橋で、若い女房に助けを求められます。
すると突然、女は形相を変えて恐ろしい鬼になり、
綱に襲いかかってきました。
綱は咄嗟に、名刀・髪切を抜き、鬼の腕を切り落とすと、
鬼は飛んで逃げていきました。
帰参した綱は、頼光に鬼の腕を見せ、
頼光が、陰陽師安倍晴明にこのことを占わせると、大凶となり、
綱は、鬼の腕を櫃に封じて7日間、
仁王経を読唱する儀式をおこなっていましたが、
6日目に、綱のもとに、叔母が来訪し、
綱は結界を破って、鬼の腕を見せてしまいます。
この女は、実は叔母に化けた鬼で、
突然鬼に戻った女は、腕を奪って逃げていきました。

一条天皇の頃、
京の都から、姫君が次々と誘拐される事件が起こりました。
安倍晴明の占いによって、
これが、大江山に棲む酒呑童子であることが判明しました。
天皇の命をうけて、
頼光と四天王は、酒呑童子討伐に向かいました。
なかなか、酒呑童子の城が見つけられなかった一行の前に、
不思議な老僧たちが現れます。
かれらは、住吉や八幡の神が姿を変えたもので、
頼光一行に、山伏姿に変装することをすすめ、
「神便鬼毒酒」という酒を渡しました。
これは、鬼が飲めば、
たちまち毒に変化するという、特別な酒でした。

山伏姿となった一行は、ようやく鬼ヶ城に至り、
鬼の仲間に加わりたいと偽り、持参した酒を勧めました。
神便鬼毒酒の毒が回り、
鬼たちは、たちまち体が痺れて動けなくなってしまいました。
頼光は、酒呑童子の首をはね、
手下の鬼たちも、すべて退治しました。
酒呑童子は、最期に、
「鬼に横道はなきものを」、と恨みの言葉を吐いて絶命します。
「お前ら、卑怯じゃないか」といったところでしょう。

頼光は、戦利品として、酒呑童子の首を都に運ぼうとしますが、
途中で地蔵尊から、
「不浄なものを都に入れてはいけない」とアドバイスをうけ、
その場(丹波国老の坂)に、酒呑童子の首を葬りました。

頼光が瘧(マラリア)を患って、床に就いていたところ、
身の丈七尺の怪僧が現れ、
縄を放って、頼光を絡めとろうとしました。
病床にも関わらず、頼光が名刀・膝丸で切りつけると、
僧は傷を負って、逃げ去りました。
翌日、頼光が四天王を率いて血痕を追うと、
北野神社の裏手の塚にたどり着き、
そこには、全長四尺の巨大な土蜘蛛がいました。
頼光は、これを捕らえ、鉄串に刺して、河原に晒すと、
頼光の病気は、たちまち回復しました。
膝丸は、土蜘蛛を討った名刀として、
「蜘蛛切」という名前がつけられました。

源頼光の異譚は、江戸時代になって、一気に広まりました。
歌舞伎の演目になり、
浮世絵には、酒呑童子や土蜘蛛退治の様子など、
多くの傑作が残されています。

頼光は、実際には、華々しい武功があったわけではなく、
藤原家の取り巻きのひとりに過ぎませんでした。
しかし、武士の先駆けのひとりとして、神格化され、
庶民に親しみを持たれていたことは間違いありません。

源頼光と四天王の活躍は、
まるで、現代のRPGゲームを見ているようにも思いますが、
実際に、パソコンゲームの題材にも採用されているそうです。
なるほど。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。