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徒然草の教え

よしをです。

「つれづれなるままに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」

兼好法師は、徒然草の冒頭で、このように語っています。
何かをあたらしく始めようとするのは、とても勇気のいることで、
始めたら始めたで、周囲の視線が気になったり、上手くいかず、
諦めてしまうこともあるでしょう。
兼好法師は、それでも周りを気にせず、
恥ずかしがらずにやり続けることで、
人間として成長し、成功を収めることができるといいます。

吉田神社神職の家に生まれた吉田兼好は、
本名を卜部兼好といい、吉田兼好と呼ばれるようになったのは、
江戸時代になってからのことです。
兼好は、幼い時から非常に賢い子どもで、
20歳になると、朝廷に仕えました。
当時の朝廷は、大覚寺党と持明院党のふたつの派閥が対立していました。

兼好は、後二条天皇大覚寺党)の縁戚の堀川家の側近になりました。
ところが、後二条天皇が24歳の若さで亡くなり、
対立する持明院党の花園天皇が即位すると、
堀川家は、力を失ってしまいました。
出世の道を断たれた兼好は、
世の中には、努力や才能ではどうにもならないことがあることを知り、
30歳で出家して、世捨て人になりました。

朝廷の分裂とともに、鎌倉幕府の権威も地に落ち、
明日の身がわからない時代にあって、
鎌倉仏教と結びついた思想に、「無常観」があります。
無常というと、
どこか投げやりで諦観や消極的な印象が思い浮かびます。
しかし、兼好法師は、
人はいずれ死ぬ存在で、明日がどうなるのかもわからないが、
どうせ未来のことはわからないのだから、
先のことを嘆くのではなく、今を大切にすべきだと語っています。

徒然草では、人生訓ばかりではなく、
兼好法師が生きた時代の、おもしろいエピソードを紹介しています。
このなかで、あだ名を気にして庭の木を切った良覚僧正の話と、
鼎(かなえ)をかぶって抜けなくなった仁和寺の僧の話を紹介します。

僧房の近くに大きな榎の木があったので、
良覚僧正は、「榎木僧正」と呼ばれていました。
僧正は、このあだ名が気に入らず、榎を切ってしまいました。
切株か残っていたので、人びとは「きりくいの僧正」と呼びました。
いっそう立腹した僧正は、切株を掘り取って捨てると。
その穴に水がたまって、池になったので、「堀池僧正」と呼ばれました。

宴会で酔っぱらった仁和寺の僧が、
ウケ狙いで、三本足の鼎(なかえ)を頭にかぶって踊ってみせると、
参加者一同、大喜び。
その後、鼎を取り外そうとするが、全く抜けず、
鼎の上から浴衣を着せて医者に見せるために町に出ると、
道中でも、さんざん見世物扱いになり、
医者は笑いをこらえきれず、ついには匙を投げられる始末。
寺に帰ると、力一杯引き抜くしかないということで、思いきり引っ張ると、
耳と鼻が陥没したが、なんとか鼎を外すことができました。
その後、このお調子者の僧は、しばらく寝込んでしまいました。

徒然草は、このような笑えるエピソードも散りばめながら、
読み手の興味を引き付けてやみません。
兼好法師も、書きながら、笑いをかみ殺していたことでしょう。

徒然草の無常観には、
人生や生きることに関する、前向きな願いが込められています。
人生で迷うことがあったら、徒然草兼好法師の言葉を思い出して、
「人生は今しかない」、という心意気で、挑んでいきたいものです。

新年の抱負の言葉に代えて。

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。