さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

人は見かけで判断する

 

よしをです。

 

人を見かけで判断してはいけないという主張をみることがあります。

これは、「人は生まれてから、全員が平等」という主張と同様、

学校教育でも、みられる考えですが、

現実社会では、外見で人を判断することは、むしろ、常識です。

 

たしかに、外見はよくても、中身がダメというケースもあるでしょう。

しかし、外見は人を判断する入り口になっていて、

外見なくして、中身を見てくれるという人など、どこにもいません。

 

不条理でしょうか?

ビジネスマンは、ビジネスの相手を注視しています。

その話し方、所作、視線が、ビジネスパートナーとしてふさわしいかどうか、

じっと観察しています。

フケの落ちた、しわだらけの上着や、ほつれたワイシャツの袖口を見て、

わたしなら、会話の内容を離れて、まず、その人の常識を疑います。

女性は、男性の手元をよく観察しているそうですが、

グロテスクなゴールドの指輪や、汚れた爪や、小指だけ伸ばした爪を見て、

女性がどう感じるか、考えてみるといいと思います。

 

不潔かどうかとは反対に、

華美でありすぎることも、マイナスイメージになります。

わたしは、ビジネスの相手の、身分不相応な腕時計や、

臭いの強い化粧品なども、人格や信用度をはかる材料としています。

 

こういう人たちは、

外見を整える努力を放棄した、と考えることもできます。

たとえば、店内に蠅がぶんぶん飛んでいるような商店で、

食料品を買おうとは思いません。

普段、いくらすばらしいことを話していても、

文法がメチャメチャで、改行や句読点もないような文章を書くような人は、

尊敬されません。

要するに、そういうことです。

 

冒頭で触れた、教育現場における、

「見た目で人を判断するな」、という教えについても、

それはケースバイケースであって、

見た目は、話し方や態度と並んで、

人間性や信頼など、その人の本質を推測するための、

重要なファクターであるということを、

正しく教えてほしいと思います。

 

平等に関しても同じです。

世の中の現実を、玉虫色で覆い隠すことは、

現在教育の大きな欠点だと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。