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ラジオ創成期の落語家名人

よしをです。

 

伝統芸能が好きだった父親の影響もあって、

わたしは長年の落語ファンです。

といっても、最近の若手の落語家には、あまり興味はなく、

現在、上手い噺家とされている、立川談春や、立川志らくなども、

独演会で聴いても、たしかに上手いとは思いますが、

名人の域には、かなり遠いものがあると感じます。

 

古い記録などによれば、大正~昭和の名人といえば、

真っ先に、四代目橘家 圓喬の名が挙がるようです。

四代目圓喬は、のちの昭和の名人(文楽志ん生、円生ら)の若手の頃、

全盛期を迎えた噺家で、志ん生の師匠としても知られています。

六代目三遊亭円生によれば、

若手時代に聴いた、この時代の落語家のなかでは、

やはり、 四代目圓喬が、抜群に上手かったと語っています。

 

NHKの大河ドラマ「いだてん」に、四代目圓喬が出るそうです。

俄然、注目が集まりそうですから、

いちファンとしても、落語の人気復活につながればと願います。

ビートたけし志ん生は、正直、ピンとこないですが…)

 

わたしは、実際に聴いたことがなかったのですが、

音源はいくらか残っているようで、

最近、圓喬の「魚売人」の一部が、

ユーチューブにアップされていることを知りました。

便利な時代になりました。

 

 圓喬の名人たる逸話が残されています。

あるとき、圓喬が、真夏の寄席で、「鰍沢」という、

真冬の山を舞台にした噺を演じました。

主人公が雪の中を逃げ惑うシーンでは、

うちわや扇子でパタパタ扇いでいた客が、物語に引き寄せられ、

皆、一斉に扇ぐ手を止め、着物の襟を合わせたといいます。

 

のちに、八代目桂文楽が、船徳を演じると、

船客が旨そうに食べるシーンに触発されて、

売店の甘納豆がバカ売れしたというエピソードもあります。

名人とは、こういうことなのか、とあらためて感嘆させられます。

 

圓喬は、「鰍沢」のほかに、「牡丹灯篭」、「真景累ヶ淵」などの

大作を得意にしていましたが、「三軒長屋」、「たらちね」、「柳の馬場」など、

洒脱な噺も上手かったといいます。

形式にとらわれない、オールラウンドプレイヤーといえるでしょう。

 

落語は上手かった圓喬ですが、その人間性には、問題がありました。

気に入らない噺家に対しては、

相手の得意ネタを、わざと、直前の高座で演じたり、

他人の噺を楽屋で聴いて、冷笑するなどの行為があったそうです。

 

ある日、四代目橘家圓蔵が、高座で演じていたとき、楽屋で聴いていて、

「何でげす。品川(圓蔵のこと)のは。ありゃ、噺じゃなくて、おしゃべりでゲス」

と悪し様に毒づいた、という逸話も残っています。

楽屋には、圓蔵の弟子も多く控えており、

そのなかには、のちの六代目三遊亭円生もいました。

 

四代目 圓蔵も名人といわれた人で、円生が生涯、敬愛した人物です。

若き円生は、師匠がこき下ろされるのを、どう感じたでしょうか。

それでも、圓喬を名人といって憚らないのですから、

圓喬の芸は、ホンモノだったという証明なのだと思います。

 

また、圓喬は、噺は上手かったですが、客ウケはよくなく、

いわゆる、客を呼べる噺家ではなかったそうで、

席亭(寄席の主)にも不評でした。

寄席の常連客が、

「噺は上手いが、どうもアイツは虫が好かねえ」

と、帰りざまに愚痴ることもあったそうです。

 

圓喬は48歳で亡くなっています。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。