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平均寿命と小児科医

 

よしをです。

 

現代のような、正確な統計資料があるわけでもありませんが、

江戸時代の平均寿命は30~40歳だといわれています。

この時代、どこの家庭に何人の子どもがいる、といった程度の情報は、

役所でも把握していたようですが、

幼児を人口として算出することは、ほとんどしていなかったようで、

国内の総人口も、正確には把握されていませんでした。

 

平均寿命が30~40歳とは、随分、短命ですが、理由があります。

乳幼児の死亡率が、現代とは比較にならないほど高かったからです。

 

11代将軍徳川家斉には、子どもが50人いましたが、

その半数が、20歳前に亡くなっています。

12代将軍徳川家慶には、27人の子どもがいましたが、

疫病流行の影響もあったとはいえ、

成人したのは、のちの13代将軍家定、ただ1人でした。

栄養状態や衛生状態のよかった将軍家においても、このような状態ですから、

庶民にしてみれば、推して知るべしです。

現代のアフリカよりは、少しマシ、といった程度でしょうか。

 

現代の平均寿命の伸びは、

食糧事情の変化とともに、医療の進歩が、大きなファクターです。

江戸時代との比較では、

とくに小児治療の分野の発展が、特筆すべきだと思います。

 

小児科医は、新生児から思春期までが対象で、

とくに小さな子どもについては、意思疎通が図れないこともあって、

小児というカテゴリーで、あらゆる症状に対応しなければならない、

非常に難しい診療分野です。

 

小児科医のなり手が、少なくなっています。

少なくなっている中でも、さらに地域差があり、

地方に行けば行くほど、産科、小児科医不足が深刻な状態です。

 

日本では、1970年代、医師不足を解消するため、

一県一医大構想により、すべての都道府県に医大をつくりました。

しかし、その後、医療費削減の方針のもと、

1982年には、医師数の抑制方針が閣議決定し、現在にいたります。

 

また、研修医はこれまで、大学病院の医局の指示で、

大学病院や、系列の地方病院に派遣されていたのですが、

2004年に導入された、新診療研修制度で、

研修医は、自由に研修先の病院を選択できることになり、

大都市の病院を選択するケースが増えたのです。

そのため、地方の病院は、急速な医師不足に陥ってしまいました。

地方病院の医師は、人手不足によって、オーバーワークになり、

自らも離職せざるを得なくなるケースが増えるなど、

完全に、悪循環に陥ってしまいました。

 

一連の方針は、あきらかに、政府および、厚生労働省の失策です。

 

医師不足のなかでも、とくに深刻なのが、産科、小児科です。

産科では、いつ出産があるのか、予想が困難で、

深夜の呼び出しも、頻繁にあります。

小児科も同様で、急患が多いため、どうしても勤務時間が長くなります。

さらに、昨今、医療事故に対する訴訟が増えていることも、

医師候補生から、産科、小児科が敬遠される理由です。

 

これらの対策のためには、まず、新診療研修制度を、あらためて改正し、

従前のように、研修医を強制的に、地方病院へ派遣するべきです。

あわせて、削減した国立大学医学部の定員を、もとに戻すこと、

女性医師が働きやすい環境をつくること、

看護婦や助産婦も増員し、医師の負担を減らしながら、

産科、小児科については、特別に診療報酬をあげることで、

経済面でも、魅力のある診療分野にすることが、必要な対策だと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。