さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

日本人と風呂の歴史

よしをです。

 

日本人は風呂好きだといわれますが、わたしも例外なくそのひとりです。

海外では、日本の風呂のように、湯船に浸かるスタイルはなく、

かれらは、シャワーなど、体の汚れを落とすために入浴しているようで、

日本人のように、

体を温めたり、リラックスするための入浴は、しないとされています。

それゆえ、外国人観光客が、

日本の温泉を珍しがるということにもなっているようです。

 

日本では、かなり古い時代から、入浴の風習があったようで、

天然の洞穴などで、温泉の蒸気を浴びる、

蒸気浴という、原始的な入浴法がされていました。

 

湯船に浸かるスタイルの風呂の歴史については、諸説あるようですが、

6世紀ごろ、仏教とともに、中国から伝わったといわれています。

寺院には、浴堂が備えられ、僧侶は体を清めました。

 

やがて、庶民も、浴堂を利用するようになり、

入浴の習慣が庶民にも広がっていきましたが、

湯船に浸かるという、入浴法については、

寺社の浴堂以外では、ほとんど一般的ではなく、

長らく蒸気浴がメインだったようです。

 

平治の乱で蜂起した源義朝(頼朝、義経の父)は、

京都の鴨川で平清盛の大軍に敗れ、再挙を期して、東国に逃れます。

現在の愛知県の知多半島の先端・野間というところで、

源氏の家人である、長田忠到親子にかくまわれますが、

長田親子の裏切りにより、湯屋で討ち取られてしまいます。

 

このときの様子について、平治物語が語っているところによれば、

義朝は湯屋で、金王丸という近習の者に背中を流してもらっていたが、

浴衣が用意されていなかったため、

金王丸が湯屋の外に出て、浴衣を探しているうちに、

暗殺者が湯屋に殺到し、刺殺したと伝えられています。

 

この湯屋というのは、熱せられた蒸気にあたって、

汗をかき、汚れをこすって落とすという、蒸気浴の一種で、

汗を流したあとは、冷水をかぶって体を清めたのだと思われます。

ちなみに、裸ではなく、浴衣を羽織って入浴しました。

 

また、長野県や山梨県あたりには、

武田信玄の隠れ湯といわれる温泉が多数ありますが、

実際に、戦国武将が、湯船につかっていたかというと、はなはだ疑問で、

おそらく、源泉のうえに湯殿を設置し、蒸気浴をしていたのだと思われます。

 

江戸時代になると、ようやく、

武家屋敷や商家に、浴槽が設置されるようになりました。

当時の一般的な入浴法は、膝あたりまで湯を張った浴槽に足だけ浸かり、

蒸気で温まるスタイル、つまり、足湯のようなものでした。

同時期に、銭湯も登場しますが、これも、やはり蒸気浴です。

その後、江戸時代の末期になって、ようやく、銭湯が普及し、

裸でお湯に浸かるスタイルの、風呂が普及しました。

 

日本人は風呂好きといわれますが、

実はサウナ好きというのが正解なのかもしれませんね。

ちなみに、江戸時代の銭湯は、幕末まで、ほとんどが混浴だったそうです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。