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読書について

よしをです。
中学生の頃、ショーペンハウエルの「読書について」を読みました。
かれは、「良書を読むための条件は、悪書をよまないことだ」と、
語っています。

たしかに、読む価値が乏しい本を読むのは時間の無駄ですが、
良書と悪書を見分けるためには、
ある程度、書物に触れ合う必要があるのではないでしょうか。
したがって、この有名な警句は矛盾に満ちているように感じるのですが、
ショーペンハウエルは、読書そのものを否定しているのではなく、
読書をするにあたっては、良書、悪書の区別が必要であることに加えて、
その方法について、良い読書と悪い読書があることを示しています。

悪い読書とは、自分で物事を考えるかわりに、
他人の出した答えに迎合する行為に過ぎず、思考停止を招くだけであって、
知性を磨き、人生の筋道を発見することにはつながらない。
ショーペンハウエルの読書論は、
そのような悪い読書の危険について、警鐘を鳴らしています。

現代人にとってなじみの深い、テレビや新聞などのマスコミや、
最近であればSNSなども、読書と同様の危険を孕んでいます。
一方的に入ってくるテレビや新聞の情報を鵜呑みにしたり、
SNSで垂れ流される極端な排他主義に迎合するなどの現象は、
ショーペンハウエルが危惧した、悪い読書の危険に、
現代人がどっぷりと浸かってしまっていることを証明しています。

ショーペンハウエルが、どのような読書法を推奨しているのかといえば、
「自分で考える人は、まず自説を立てて、自説を強化するために、あとから文献などで検証する」と、説明しています。
かれには古典礼賛の傾向があり、古臭くも感じるのですが、
悪書や悪い読書を見極めるために、
現代まで語り継がれている古典の力を借りること、
いわば、これまで知識人が積み上げてきた経験則を重んじています。

ショーペンハウエルが悪書の一例として挙げているのは、
政治的パンフレット、宗教宣伝、流行小説、詩です。
要するに、流行や一過性の事象に左右されるようなものには手を出さず、
評価の定まっているものを読むべきだとしているのです。
今風に言えば、
ベストセラー小説やビジネス書などが、それにあたるでしょうか。
ショーペンハウエルの著書や警句が、
ビジネス書で度々、ピックアップされているのは、大変皮肉ですが…。

一方、ショーペンハウエルは、同書の中で、次のように語っています。
「重要な書物は続けて二度読むべきである」。
当然ながら、その本が重要であるかどうかを見極める眼力が必要です。
還暦が近くなり、わたしもようやく、己が半生を振り返る機会を得ました。
自分は、自説を立ててから検証するという実践をしているのかどうか、
反芻するように心掛けています。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。