さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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9割の壁

よしをです。

 

高校野球も終わり、毎年感じる、少し寂しい夏の終わりですが、

なぜか、この季節になると、

女子のプロ野球選手がなぜ認められないのか、

といった話題が、聞こえてくるようになります。

 

ここでいう女子プロ野球選手というのは、

女性だけで編成されたチームのことではなく、

MLBや、日本プロ野球機構(NPB)が、

女子選手を認めないという、規則に関する異見です。

 

男女均等の議論と、能力差の議論がまぜこぜになって、

大変気持ちが悪いのですが、純粋な能力差について、

少し考察してみたいと思います。

 

まず、女子スポーツ選手の記録を、男子のものと比較した場合、

「9割の壁」があるといわれていて、

女子選手のトップレベルの成績は、

男子選手の9割程度に、収束することが知られています。

 

一般的に、女性は柔軟性、疲労耐性にすぐれているといわれますが、

トップ選手でも、筋肉量は男性の60~80%程度で、

パワー的には、絶対的なビハインドがあります。

 

たとえば、陸上競技の場合、

(100M走)⇒男子(9.77秒) 女子(10.49)で、男女比は(93%)

(フルマラソン)⇒男子(約2時間4分) 女子(2時間15分)で(92%)、

となっていて、記録は、おおむね90%台に収束しています。

 

重量挙げの場合、69キロ級ジャークを例にとると、

男子(197.5キロ) 女子(157キロ)で、男女比は(79%)です。

 

また、別の例として、テニスのサーブのスピードの場合では、

男子(237キロ) 女子(184キロ)で、男女比は(78%)です。

 

これらのデータから、野球の投手の球速についても、

女子投手の速球は、80~90%に留まると考えてもいいでしょう。

つまり、男子の一流ピッチャーの速球を150キロとすると、

女性投手の場合は、120~135キロ程度ということになります。

 

以前、東京六大学野球で、

明治大学東京大学の女性投手が登坂して、話題になりました。

小林投手(明大)は、高校時代には130キロを計測したそうですが、

六大学ではMAX120キロ、

竹本投手(東大)は、左腕アンダースローの変則ですが、

速球は100キロ程度でした。

 

彼女たちがトップアスリートかどうかは、微妙なところですが、

たとえば、テニスのトッププレイヤーである、

ビーナス・ウィリアムスが野球に転向したとして、

その球速は、140キロに達するかどうかといえば、かなり疑問です。

 

つまり、速球派投手では、男子に対抗できないことになります。

あとは、水島漫画の世界になりますが、

水原勇気的な、魔球を投げる変則ピッチャーなら通用するかどうかです。

 

私見ですが、水原勇気は通用しません。

もし、女性投手が通用するとすれば、

以前も紹介した、ナックルボーラーしかないだろうというのが、

わたしの結論です(アンダースローではナックルは投げられません)。

ちなみに、打者については、

論究するまでもなく、通用する可能性は、残念ながら皆無です。

 

「9割の壁」ですが、

男性は女性の10%増しのパワーをもっている代わりに、

10%寿命が短いというと、なんとなく納得も得られるでしょうか。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

中二病経験者として

よしをです。

 

中二病とは、思春期にみられる、背伸びした言動や、

自己愛と自虐の、アンバランスな精神状態のことで、

心身の成長の過渡期に訪れる症状です。

 

思い起こせば、わたし自身も、中学生の頃、

学校や世の中への怒りや、

将来への漠然とした不安が心の奥底にあり、

自己表現の拙さもあって、焦燥のような感情にかられ、

教師や親への反抗心で、毎日もやもやしていた記憶があります。

 

中二病には、過剰な自己意識と、

自分を認めてほしいという承認欲求があることが特徴で、

それらの鬱屈した思いが、内面に向かう傾向があります。

背伸びをして、サブカルチャーや哲学などに飛びつき、

独裁者や、重大事件の犯人を崇拝するなどの傾向もあります。

要するに、粋がっているということなのです。

 

ヒトラーの「わが闘争」は、ドイツ国内では禁書とされていましたが、

2015年に著作権が切れ、現在は、再販されています。

もっとも、現代はインターネット時代ですから、

ウェブサイトでは、同書の閲覧だけでなく、

ヒトラーの演説を視聴することも可能です。

 

日本では、出版等に対する検閲が、憲法で禁止されているため、

名誉棄損などを除いては、

相当偏った思想本でも、出版禁止になることはありません。

「わが闘争」も例外ではなく、

戦後も、1973年には、角川書店から文庫版が出版されています。

わたしも中学校の頃、ニーチェドストエフスキーなどとともに、

文庫版で読んだ記憶があります。

(これらの読書の傾向も、完全に中二病)。

 

ちなみに、日本語訳版の「わが闘争」は、

オリジナルにある、日本人を蔑視する部分が削除してあります。

この事実は、同書の耳ざわりのよい部分だけをクローズアップし、

読者に、誤ったメッセージを与えかねないことを示唆しており、

個人的にも憂慮しています。

 

言論の自由とはいえ、

あまりにフリーな日本の状況は、どうにかならないでしょうか。

たとえば、猟奇的な犯罪について、

大抵の場合は、興味をもつだけですが、

大変恐ろしいことに、

それをヒントに、類似の犯罪を実行してしまうモンスターが、

ほんの一握りですが、社会に一定数存在するのです。

あの酒鬼薔薇聖斗も、

猟奇的な本やビデオに執着していたことが知られています。

 

それにしても、中高生が、「わが闘争」を読むのは、お薦めできません。

中高生が、このような本をレジに持ってきた場合、

書店の人が注意することが当たり前になる世の中が、健全だと思うのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

六代目圓生と江戸言葉

よしをです。

 

六代目三遊亭圓生は、

落語で事実と異なることをいうことを自戒し、よく研究していました。

たとえば、「鰍沢」では、

日蓮上人の御一代記をマクラで述べるために、宗教学者に学び、

「百川」では、ほかの噺家が、医者の名前を「鴨道哲」としていたのを、

「鴨地玄林」に改めています。

古い記録で、この名前の医者が実在することを、確認したからです。

 

わたしは、以前から、圓生の十八番「淀五郎」を聴いていて、

どうも腑に落ちない部分がありました。

噺のマクラで、男女の贅沢の違いについて、語っているところがあります。

江戸時代の、男のたのしみといえば、酒、女、博打ですが、

女性といえば、芝居見物、茄子、唐茄子、蒟蒻で、

女の場合は、男と比べて、

どれも、「にゅうし」が少ないと語っているのです。

 

あまり聞きなれない言葉ですが、「にゅうし」とは何のことでしょうか。

入試、乳歯、乳脂…、どれも違うようです。

あの圓生が、いいかげんなことをいうはずもなく、

古語もしくは、なにかの隠語なのかなど、いろいろ考えをめぐらした結果、

広辞苑を開いて、疑問が解決しました。

 

「にゅうし」ではなく、「にゅうひ=入費」だったのです。

 

入費とは、つまり、必要な費用という意味で、

われわれ現代人は、あまり使わない言葉ですが、

明治人の圓生は、この言葉を普段使いしていたようで、

「入費」は、「淀五郎」以外の噺にも、現れることがわかりました。

 

江戸の人は、「ひ」と「し」の区別ができず、

すべて「し」になってしまいます。

「ひとり酒」は、「しとり酒」、

「お昼(ひる)時」は、「お昼(しる)時」といった具合です。

「う」と「い」も同じで、「うごいた」が、「いごいた」に変換されます。

 

圓生の語りが独特なのは、単語の選び方だけでなく、口調にあります。

「~でげす」などの芸人言葉と、上品な江戸言葉が混じり合っていることで、

これは、高座だけでなく、日常会話でも、同じスタイルを突き通しています。

圓生の口調は、同世代の名人とも異なっています。

八代目桂文楽が、芸人口調で、やや、圓生に近いように感じますが、

五代目古今亭志ん生は、べらんめえ口調で、まったく違います。

 

圓生は、実際には、二人より、10歳以上若いにも関わらず、

かれらよりも、何世代か前の、古い人間のように感じられます。

 

以前にもご紹介しましたが、圓生は大阪生まれで、

幼少期に、母親と一緒に上京したという経歴をもっています。

大阪出身ということで、かれは、上方(大阪)の噺を、

数多く、江戸落語に輸入、アレンジした功績でも知られていますが、

皮肉なことに、圓生が落語で語る上方言葉は、

本来のイントネーションとは違うという批判があるのです。

 

圓生は、抜群の記憶力を誇っていましたが、

小学校も、ほとんど通ったことがなく、教養への強い憧れがありました。

純粋な江戸っ子である文楽志ん生にも、引け目を感じていたでしょう。

江戸人以上に、江戸人でありたいという気持ちが、

偏屈で、完璧主義者の圓生に、

まるで、江戸時代の人間のような、語り口を作り出させ、

特殊な言葉選びをさせたのではないか、と想像するのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

河川の水難事故の怖さ

よしをです。

 

 わたしは、高校まで、町の中心部に、

大きな河川が流れる、地方都市で育ちました。

 

市内の小学校では、毎年、夏休み前に、水難への注意喚起があり、

とくに、町の中心部を流れる川(遊泳禁止でした)には、

絶対に近づかないようにという指導がされていました。

それでも、その川では、

数年に1回のペースで、死亡事故が起こっていました。

現在も、ときどき事故の話題を耳にします。

 

日本の川や海における、過去10年の水難死亡者と行方不明者数は、

年間700~800人程度と、ほぼ横ばいです。

50年前と比較すると、半数程度に減少していますが、

その理由は、川遊びができる河川が減っているからだといわれています。

 

海と川を比べると、死亡事故の犠牲者数は、(2:1)程度ですが、

中学生以下の子どもに限定した場合、

川の水難事故の方が多くなるということについては、

あまり知られていないかもしれません。

 

川の事故の特徴は、大体、同じ場所で発生するということです。

川には、落差や岩などの障害物によって、白く泡立つ部分があります。

これをホワイトウォーターといって、空気の泡を多く含んでいるために、

物体の浮力を少なくする効果があるため、危険度が高くなります。

また、岩や人工物、大きな流木など、障害物の周辺には、

サーキュレーションという、縦回転の渦が巻いていて、

物体を水底へ引っ張る力が働いています。

一旦、これらの場所に入ってしまうと、助け出すことは困難です。

 

また、瀞(とろ:深い淵)になっている場所には、

表面は水が流れていますが、流れの下に入ってしまうと、

表面の水流とは反して、グルグルと川底を回転する流れが発生しているため、

大人でも浮上することが困難です。

わたしの町の川でも、瀞に沈んだ大人の水死体が、

何週間も上がってこなかったことがあったと聞いたことがあります。

 

比較的、変化の少ない、海の環境と比較して、

これらの複雑な環境が、川の危険性を大きくしているのです。

 

海の場合は、子どもが、瀬戸内際で遊んでいて、

溺れることは少ないと思いますが、

川の場合は、足をすくわれた瞬間から、命の危険があります。

 

流水の水圧は、流れの2乗に比例して増加します。

流れが2倍ならば、水圧は4倍になりますから、

流れの強い渓流などで、膝上ほどの水深があれば、

転んだ場合、大人であっても、すぐに立ちあがることは難しいでしょう。

さらに、川底のコケの生えた石に足を取られ、

パニックを起こすことも少なくないでしょう。

 

もうすぐ夏休みも終わりますが、絶対に子どもに川遊びをさせてはいけません。

ほとんどの渓流で、遊泳は禁止されていると思いますが、

水際で遊ぶことも、避けてもらいたいと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

「そのカメラはキャノン?」

よしをです。

 

先日(8月21日)、日韓外相会談がおこなわれました。

徴用工問題や、輸出規制問題について、

一切進展がなかったのは、大方の予想通りでしたが、

会談の開始前に、面白い出来事がありました。

 

日韓の報道陣が、河野外相を取り囲んだ際、

河野大臣は、韓国の記者団を指さして、

「キャノン? このカメラはニコン?」と、

かれらが、日本製のカメラを使っていることを揶揄したのです。

 

思わず笑ってしまいました。

日本製品不買運動を、官民ぐるみで推進しているなかで、

その旗振り役であるはずのマスコミが、

日本製のカメラを使って、日本の大臣を取材するという、

噴飯もののコントを見せつけてくれたからです。

 

わたしのなかでは、先日紹介した、麻生大臣の、

「いくつまで生きるつもりかね」に続く、

日本の政治家による、スマッシュヒット発言だと思いました。

実に残念なのは、これがフェイクニュースだったことですが…。

 

ペーソスの効いた会話ができる、日本の政治家というのは、

これまで、ほとんどいませんでした。

しかし、海外の政治家には、

ユーモアたっぷりの語録がいくつも残っています。

 

ウインストン・チャーチル(イギリス首相)は、

女性議員から、

「わたしがあなたの妻だったら、あなたの飲む紅茶に毒を入れるでしょう」

と皮肉られて、

「わたしがあなたの夫だったら、喜んでその紅茶を飲むでしょう」

と言い返したそうです。

そのほかにも、チャーチルは、女性議員のウケがよくなかったようで、

女性議員から、かれが酔っているのではないかという指摘を受けて、

「酔っ払いは翌朝、正気に戻るが、女性の器量(美醜)は変わらない」

と、返したりしています。

こちらは、現代ならNG発言でしょうが…。

 

ロナルド・レーガンアメリカ大統領)は、

銃撃されて病院に搬送された際、

付き添うナンシー夫人と側近に、

「弾が飛んできたときに、かがむのを忘れちゃったよ」と語り、

夫人や周囲を、安心させたといいます。

さすがは、元ハリウッド俳優の面目躍如といったところです。

また、テレビ番組にゲストで呼ばれた際には、

「わたしには大統領になる資質がある。まずは、抜群の記憶力だ。それから、ええっと・・・」と、

司会者を爆笑させました。

 

南北戦争の際、エイブラハム・リンカーンは、

自分で靴を磨くリンカーンを見て、驚く側近に対して、

「自分の靴でないとしたら、きみは、誰かの靴を磨くんだね?」、

と尋ねました。

このやりとりで、奴隷解放の意義を、やんわり諭したように思います。

 

日本の政治家に対しては、

マスコミが中心になって、発言のあら捜しに躍起になっています。

政治家による、ひどい妄言があるのも事実なのですが、

もっと別の視点をもつべきと思います。

要するに、マスコミも、政治家も、揃いも揃って教養が足りないのです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

GSOMIA騒動記

よしをです。

 

今年の5月に放送されたバラエティ番組で、

作家の岩井志麻子さんが、韓国国会議長の一連の発言に対して、

韓国人気質を、「手首切るブスみたいなもの」と発言し、

その後、番組を制作した関西テレビが、

不適切表現により、謝罪する事態になりました。

 

GSOMIAの延長是非に関して、

今回、韓国は、「切るぞ、切るぞ」と日本を威嚇するうちに、

本当に手首を切ってしまいました。

 

手が滑ったのでしょうか。

 

現実的には、レーダー照射事件や、旭日旗問題などで、

日韓は安全保障の領域でも、互いに不信感がつのっており、

このままGSOMIAを延長しても、形骸化したであろうとは想像できます。

したがって、日本にしてみれば、実効性において、

あまり意味のない約束事なのですが、破棄となると、話は別です。

韓国は、破棄ではなく、「延長しないだけ」と主張していて、

このあたりの言いぶりも、気味が悪い限りです。

 

韓国にとっては、

アメリカにおいて、不信感をもたれることは疑いなく、

下手をすると、アメリカから経済制裁を食らう危険があります。

また、さらに、日本との対立が深刻度を増した結果、

日本企業の撤退や、

日本の金融機関の資金引き上げがおこなわれれば、

航空便の減便、日本製品不買運動とは、

比較にならないほどの、甚大な悪影響が懸念されます。

 

通商問題を、安全保障問題で意趣返しするという、

無法な振る舞いによって、国際的な信頼性も下がり、

通貨価値や株価、国債の信用度もさがってしまうでしょう。

 

対する日本の影響は、さほど大きくなりません。

もともと、韓国からの軍事情報の信頼性は低いうえ、

日本の衛星の情報を受けられないと、困るのは韓国のほうです。

なぜなら、韓国は偵察衛星保有していないのです。

 

ちなみに、韓国は、

千里眼1号という、気象衛星保有していましたが、

平昌オリンピック期間中に故障し、

この間、日本の気象衛星ひまわりの情報を得ていました。

昨年12月には、気象および通信衛星の機能を備える、

千里眼2号を打ち上げ、現在はこちらの2号を運用しているようです。

もし、以前のように、衛星が故障した場合には、

また、日本から気前よく、気象情報の協力を得られるのだろうかと、

いらぬ心配をしてしまいます。

ちなみに、韓国の気象庁は、台風の進路予測もできないそうですが、

せいぜい、自力で頑張ってみてください。

 

さまざま論究されているように、このようなリスクを踏んでまで、

GSOMIAの延長をストップする、合理的な理由が見つからないのです。

以前、元韓国大使の武藤正敏氏は、

GSOMIAに関する、韓国の対応について、

常識的に考えれば延長だが、

「韓国の人は感情的になったときに、なにをするかわからない」と、

GSOMIAの破棄を、予言するような発言をしていました。

 

日本は、

「国家的な自尊心まで傷つけるほど無視を続けてきた」のだそうです。

今、目の前に、手首を切った、血まみれのブスが転がっているのですが、

さて、どう対応したらいいのでしょうか。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

高反発金属バットを禁止せよ!

よしをです。

 

 

金属バットは、1974年の甲子園大会から導入されました。

これによって、本塁打の数は倍増し、いうならば、この瞬間から、

高校野球は、まったく別の競技に代わってしまいました。

 

高校野球に金属バットが導入された理由はなにか。

木製バットは折れやすいため、経費的な負担が大きく、

木の資源保護のためにも、導入がすすんだといわれていますが、

実際にはよくわかっていないようです。

 

現在、高校野球で使用されている金属バットは、

木製よりも反発係数が高く、

高野連は、2001年に、打球の速度を落とすために、

金属バットの重量を900グラム以上にするという、

基準の改定をしましたが、

反発係数の見直しはされることがなく、

今の球児は、筋トレで易々と克服して、ホームランを量産しています。

 

バットのウエイトは増えましたが、

バランスがよく、芯が大きいため、バットを振るパワーがあれば、

さほど、苦にならないのです。

 

今年の甲子園でも、ホームランが量産されました。

木製バットであれば、打ち損じになるはずの打球も、

反発係数の高い金属バットならば、

パワーに押されて、スタンインすることができます。

テレビで試合を見ていて、そのような打球を多く見ました。

 

プロ野球や、国際大会では、すべて木製バットが使われており、

日本の高校野球は使用バットに関してガラパゴス化しています。

マチュアの国際大会で思ったような成績が残せないことや、

高校野球の有望選手がプロ入りしてから、

まったく活躍できないケースなどは、

おもに、木製バットへの対応ができないことによるものです。

 

アメリカのアマチュア野球(リトルリーグ、高校、大学)では、

反発係数を木製バットと同じレベルに調整した、

低反発の金属バット(BBCOR)が使われています。

 

前述のように、日本では、

プロ入りした高校野球出身の選手が、活躍できないことが多いため、

一部の高校や、リトルリーグのチームでは、

普段、木製バットを使わせて、

練習させるチームが増えているといいますが、

高反発金属バットに対応したトレーニングを続けているチームが、

まだまだ大多数です。

 

BBCORのバットを導入すれば、投手にとっても利点が増えます。

長打を打たれる可能性が減るので、大胆な配球が可能になり、

投球術も向上するはずですし、投手の球数も確実に減ります。

 

球数制限をする前に、バット改定を優先してもらいたいぐらいですが、

なかなか声は届いていないようです。

「甲子園のホームランが減れば、人気に陰りが出る」などと、

主催新聞社が、

邪な考えをしているのではないかと勘ぐってしまいます。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。