六代目圓生と江戸言葉
よしをです。
六代目三遊亭圓生は、
落語で事実と異なることをいうことを自戒し、よく研究していました。
たとえば、「鰍沢」では、
「百川」では、ほかの噺家が、医者の名前を「鴨地道哲」としていたのを、
「鴨地玄林」に改めています。
古い記録で、この名前の医者が実在することを、確認したからです。
わたしは、以前から、圓生の十八番「淀五郎」を聴いていて、
どうも腑に落ちない部分がありました。
噺のマクラで、男女の贅沢の違いについて、語っているところがあります。
江戸時代の、男のたのしみといえば、酒、女、博打ですが、
女性といえば、芝居見物、茄子、唐茄子、蒟蒻で、
女の場合は、男と比べて、
どれも、「にゅうし」が少ないと語っているのです。
あまり聞きなれない言葉ですが、「にゅうし」とは何のことでしょうか。
入試、乳歯、乳脂…、どれも違うようです。
あの圓生が、いいかげんなことをいうはずもなく、
古語もしくは、なにかの隠語なのかなど、いろいろ考えをめぐらした結果、
広辞苑を開いて、疑問が解決しました。
「にゅうし」ではなく、「にゅうひ=入費」だったのです。
入費とは、つまり、必要な費用という意味で、
われわれ現代人は、あまり使わない言葉ですが、
明治人の圓生は、この言葉を普段使いしていたようで、
「入費」は、「淀五郎」以外の噺にも、現れることがわかりました。
江戸の人は、「ひ」と「し」の区別ができず、
すべて「し」になってしまいます。
「ひとり酒」は、「しとり酒」、
「お昼(ひる)時」は、「お昼(しる)時」といった具合です。
「う」と「い」も同じで、「うごいた」が、「いごいた」に変換されます。
圓生の語りが独特なのは、単語の選び方だけでなく、口調にあります。
「~でげす」などの芸人言葉と、上品な江戸言葉が混じり合っていることで、
これは、高座だけでなく、日常会話でも、同じスタイルを突き通しています。
圓生の口調は、同世代の名人とも異なっています。
八代目桂文楽が、芸人口調で、やや、圓生に近いように感じますが、
五代目古今亭志ん生は、べらんめえ口調で、まったく違います。
圓生は、実際には、二人より、10歳以上若いにも関わらず、
かれらよりも、何世代か前の、古い人間のように感じられます。
以前にもご紹介しましたが、圓生は大阪生まれで、
幼少期に、母親と一緒に上京したという経歴をもっています。
大阪出身ということで、かれは、上方(大阪)の噺を、
数多く、江戸落語に輸入、アレンジした功績でも知られていますが、
皮肉なことに、圓生が落語で語る上方言葉は、
本来のイントネーションとは違うという批判があるのです。
圓生は、抜群の記憶力を誇っていましたが、
小学校も、ほとんど通ったことがなく、教養への強い憧れがありました。
純粋な江戸っ子である文楽や志ん生にも、引け目を感じていたでしょう。
江戸人以上に、江戸人でありたいという気持ちが、
偏屈で、完璧主義者の圓生に、
まるで、江戸時代の人間のような、語り口を作り出させ、
特殊な言葉選びをさせたのではないか、と想像するのです。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。