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名人 八代目桂文楽の死

よしをです。

 

落語名人の名を、ほしいものにしてきた八代目桂文楽にも、

ついに、最後の日がやってきました。

昭和46年8月31日、国立劇場でおこなわれた、

第42回落語研究会の高座です。

 

文楽の出番は二番目で、演目は、「大仏餅」です。

このころ、文楽は、しばしば体調不良を訴えるようになっており、

この、「大仏餅」という噺は、

文楽が体調の悪いときなどに演じる、いわば、安全な演目でした。

 

ところが、この日の高座では、

当初から、言いよどみや、活舌の悪さが目立ち、

盲目の乞食が、自分の出自を明かす決定的な場面で、

「あたくしは、芝片門町に住まいおりました…」に続く、

「神谷孝右衛門」という名前を思い出せず、絶句してしまったのです。

 

文楽は、しばらくの間、沈黙し、静かに、

「申し訳ございません。台詞を忘れてしまいました」

そして、声を張って、

「もう一度、勉強し直して参ります」

といって、高座を下りていきました。

 

舞台のそでで出迎えるマネージャーに、落胆した文楽は、

「僕は三代目になっちゃったよ」

と、呟いたといいます。

 

三代目というのは、名人として知られた、三代目柳家小さんのことです。

夏目漱石が熱狂的なファンだったことでも知られる、明治の名人は、

晩年は、すっかりぼけてしまい、

噺が堂々巡りをして、途中で幕を下ろされるという、

悲惨なエピソードを残しています。

文楽も、晩年になって、常々、「三代目になりたくない」と語っていたそうで、

自らも、高座で、このような醜態をさらす可能性を恐れていたのでしょう。

 

この日の大仏餅が、名人・桂文楽の、最期の高座となりました。

同世代の名人である、古今亭志ん生や、三遊亭圓生が、

いずれも、パーティ会場で倒れ、落語界を去ったのと比して、

八代目文楽の最期は、

舞台上で、芸人としての壮絶死を遂げるという、

特別な記憶として、いまも、残っています。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。