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噺家と記憶力

よしをです。

 

落語家にとって、記憶力というのは生命線です。

わたしの好きな噺家である、六代目三遊亭圓生は、

300以上の持ちネタがあるといわれていますが、

かれが若かりし頃(10代前半)には、

兄弟子の後ろで師匠との稽古を聴いているだけで、

ほとんど覚えてしまったと語っています。

 

圓生は、記憶力に関する異能の持ち主だと思いますが、

一般的には、記憶を定着させるためには、かなりの努力を要します。

短い演目でも10分程度、長いものでは2時間を超える落語に関して、

落語家はそれらを記憶するために、どんな努力をしているのか、

大変気になるところです。

 

結論から言えば、噺を記憶するためには、

繰り返すことによってのみ、身につけることができると、

多くの落語家が語っています。

どう繰り返すのかといえば、声に出して覚えるということです。

落語の場合、セリフに身振りも加わりますから、

歌と振付を覚えるようにして、記憶するということなのです。

 

しかし、反復だけでは不十分です。

噺を物語として完成させるために、

落語家は、噺が「体に入る」という表現をします。

 

立川談志は、生前、弟子に稽古をつける際、

「お前が演る八五郎の、歳はいくつで、仕事は何だ? 身の丈や体重は?

カミさんはどんな女だ? 酒はどれぐらい飲むんだ? 博打はどうだ?

隠居の歳はいくつだ? いくつで隠居し、家督を譲った倅はどんな奴だ?

孫はいるのか? 八五郎はどれぐらいの頻度で隠居に会いに来る?」

といった質問を、矢継ぎ早に投げかけていたそうです。

(ちなみに、この演目は、「妾馬(八五郎出世)」といいます)

 

これは、落語にリアリティをもたせるための大事な作業です。

それと同時に、談志は、

セリフを生き生きとした記憶として定着させるためには、

物語の全体感やイメージ、世界観を、同時に刷り込む作業が、

必要だと考えていたからでしょう。

つまり、これが、「体に入る」ということなのだと思います。

 

学習も同じで、歴史の年表や英単語を、単に暗記するのではなく、

それらの背景にあるものを同時に、記憶のヒントとして、

体に入れる作業が重要なのだと考えています。

ただし、学習の場合、「持続」という要素も加わるので、

なかなかやっかいなのですが…。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。