落語家の名跡は誰のものか
よしをです。
大変失礼ながら、残念なニュースでした。
「林家」の総本家です。
襲名するためには、名前に相応しい実力を備えるべきであり、
こぶ平では林家正蔵を名乗るための実績不足も甚だしいといった、
業界や落語ファンからの、厳しい批判の声が少なからずありました。
そもそも、落語の襲名は、歌舞伎のそれとは異なり、
必ずしも、一子相伝でも、縁戚関係によるものとは限りません。
林家正蔵の場合、初代から五代目までは、直系が継いでいますが、
六代目から八代目は、それぞれ親戚関係になく、師弟関係もありません。
こぶ平の祖父(七代目)は、芸では定評が高かったのですが、
かれの師匠が協会を脱退したため、芸名を返上しなければならなくなり、
たまたま空いていた「林家正蔵」の名前を、調停によって襲名しました。
また、怪談噺で有名な、八代目(のちの林家彦六)は、
弟弟子と、五代目小さんの襲名争いに敗れて、
小さんの代わりに、空いていた林家正蔵を襲名しました。
ただし、先代の正蔵の息子(林家三平)が落語家になっていたので、
一代限りという約束で襲名しています。
しかし、三平は、正統派ではなく、イロモノ扱いだったため、
本人は、正蔵を襲名せず、
結局、その息子(長男)のこぶ平が正蔵を継ぐことになったという訳です。
のちに、こぶ平が語ったところによれば、
九代目正蔵襲名は、そもそも、上野鈴本演芸場の席亭(劇場主)から
持ち掛けられた話だそうで、母(海老名香葉子)は、当初渋ったが、
こぶ平自身も決断したという経緯だったといいます。
ちなみに、春風亭小朝は八代目正蔵の孫弟子であり、実力もあります。
したがって、三平の娘(泰葉)と結婚した際には、
小朝が九代目正蔵を襲名するという噂もありましたが、
七代目直系の孫(こぶ平)がいる限り、実際には難しかったでしょう。
小朝には、九代目正蔵になるチャンスがあったかもしれません。
(落語ファンとすれば、そちらを歓迎するところでしょうが…)。
落語家の襲名というのが、
実力優先なのか、それとも姻戚関係を重視するのか、
しかも、一門のなかで、検討するのではなく、
寄席の関係者(席亭)が、襲名の仲立ちをするなど、
誰が主体になって、襲名がおこなわれるのか、ますますわからなくなります。
ひとつ言えるのは、落語家の名跡というのは、宗家や一門のものではなく、
落語界全体で保持しているものだろうということです。
したがって、既存の協会(落語協会、落語芸術協会)から飛び出した、
必然的に、三遊亭圓生や、立川談志は「止め名」になるだろうということです。
非常に残念ではありますが、
とくに立川流では、名前にとらわれない実力者が輩出していますから、
別の角度で、落語を楽しめる時代になったと考えるべきでしょう。
九代目林家正蔵にも、
名前負けしないように、精進を重ねていただきたいと思います。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。