天才の頭の中
よしをです。
一般的に、頭がいいというと、学校の成績やテストの結果のことをいい、
与えられた問題を解決する能力のことを指します。
しかし、あらたな発見や、原因究明のために必要な能力は、
テストを解くこととは、根本的に異なり、
問題そのものを発見する能力が必要です。
わたしの高校時代の同級生に、
天才的に理系の成績が優れている生徒がいたのですが、
かれは日ごろ、大学受験の数学や化学の問題は、
必ず答えがあるから簡単だ、と断言していました。
わたしのような凡人には、その感覚は皆目理解できないのですが、
かれは、難解な数学の問題を前にすると、
たとえば、日本語の文章を読んで、その作者の思惑を理解するように、
あるいは、地図を見て、目的地への道順を目で追うような感覚で、
試験問題を脳内で、指でなぞるようにしてすすめていくと、
実際に計算することなく、正解(=ゴール)が「見える」、と表現していました。
将棋の羽生善治さんは、対局において、
盤面に展開している駒の個々を見るのではなく、
駒の展開している「模様」を見るのだと語っています。
羽生さんは、場面を検討するうえで、将棋盤は必要ないとも語っていて、
何千手もの選択肢の中から、最善手を導くために、
右脳と左脳を使い分けているともいわれています。
以前、目隠し将棋といって、
棋士がそれぞれ、目隠しをして対戦するイベントを、
テレビで見たことがあったのですが、お互いに、ほとんど疑問手もなく、
羽生さんは、最終的に10数手の詰みを発見し、見事勝利しました。
(対戦相手は、森内名人だったと記憶しています)。
また、以前、ある天才数学者のエピソードを読んだのですが、
かれは、アルファベットの文字をみると、
たとえば、「Aなら赤、Bは緑」といったように、
それぞれ、色のイメージが浮かぶといっていたといいます。
モノクロで書かれた本が、すべてカラーに見えるということでしょうか?
常人には、とても理解しがたい感覚です。
ひとつの感覚刺激が、別の感覚を刺激することを共感覚といいます。
羽生さんの場合は、記憶を映像化する共感覚の持ち主だといえますが、
数学の天才の例のように、論理的な思考が、色彩として表現されたり、
あるいは、絵や音楽に現れる共感覚も、存在するのです。
つまり、かれらは、
記憶や洞察力や発明を、言葉や文章でおこなうのではなく、
別の感覚、おそらく、自分にとって心地よい感覚に、
置き換えることができるから、天才なのです。
羽生さんは、免許は持っていますが、自動車の運転はしません。
運転していて、突然将棋のことを思い出すと、
頭のなかに、将棋盤が浮かび出てしまい、
周りが見えなくなることがあるからだそうです。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。