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ほんの少しだけマルクスの話をしようか

よしをです。
いまでは時代遅れで、教える学校も減っていると思いますが、
35年前、わたしは、大学でマルクス経済学の勉強をしていました。
熱心な学生ではなかったのですが、それには理由があって、
マルクスの階級論には、決定的な矛盾があると感じていたからです。

マルクス自身も、この矛盾に気が付いていて、
死後の1894年に出版された「資本論」最終巻には、
「たとえば、医者と役人は、2つの階級を形成しうる」として、
自説の不備を指摘しながら、原稿はここで終了し、
矛盾は解決されぬまま、続きが書かれることはありませんでした。

マルクスは、フランスの自由主義派の影響を受けていますが、
自由主義派の階級論によれば、人間が欲求を満たす方法は2つあり、
ひとつは、自ら働いて富を生産すること、
もうひとつは、他人が生産した富を奪うことだといいます。

古代は、略奪による富の形成が見られましたが、
近代になり、露骨な略奪が難しくなると、
より巧妙な方法で、略奪がおこなわれるようになりました。
自由主義派は、あらたな略奪方法を税金だとしています。

近代国家の国民は、税金によって富を得た支配階級と、
税金を取られる被支配者階級という、
相反する集団で構成されているというのが、自由主義派の主張で、
マルクスは、この議論をさらにすすめて、税金の再分配をおこなうことで、
略奪階級と生産階級の区別をなくしたいと考えていたのでしょう。

マルクスは、支配階級をなくして、
被支配階級である、労働者だけの世界を夢想したのですが、
プロレタリアート革命によっても、
人類みな平等の世界ができるわけではなく、
国家権力の中枢にいる高級官僚が、ブルジョアジーに成り代わって、
あらたな支配者階級になるだけの意味しかありませんでした。
それはそうでしょう。
人間が長い時間をかけて、所得という概念を生み出し、
所得を増やし、高い地位を獲得したいという欲求をバネに、
技術革新や効率主義を進化させてきたのが人類の進化の歴史です。
社会や経済、科学技術の進歩欲求が人類の宿命である限り、
そのエンジンとなる欲求を突然遮断し、
あらたなイノベーションが起きない、人類みな平等の世界を、
人類が選択することは考えられないのです。

わたしがマルクスに疑問をもったきっかけは、
小事業主に関するスタンスでした。
マルクスの分類によれば、
小規模ながら、自前の工場や店をもつ自営業者も、
ブルジョアジーに属することになり、駆逐される対象とされ、
たとえば、従業員を2人雇う商店の親父は、
支配者階級ということになってしまうのです。
これは、心情的に理解しがたい主張だと感じました。

日本共産党はご都合主義の塊です。
かれらは、マルクス主義を信奉しているわけですから、
本来であれば、中小の自営業者を、従業員を搾取するブルジョアとして、
攻撃しなければならないはずなのですが、
実際のかれらの言動は、中小事業主を支援する側に回っています。
日本共産党は、マルクス主義理論の破綻を体現していますが、
おそらく党内の誰も、このことを指摘しないことが不思議です。

記事を中断して、母校のサイトを見てみると、
「21世紀のマルクス経済学」と題して、
現在も、マルクス経済学を教えている教室がありました。
論文の要旨に、
マルクス資本論で解明した成果が、純粋な等価交換の世界でも、
労働搾取が成立することだとする主張がありましたが、
わたしは、労働搾取が起こる状態というのは、
階級主義が否定されていない証拠であって、
同時にそれは、成果ではなく、資本論の矛盾だと思うのです。

こんなことをいっているから、
経済原論の成績がC判定だったのでしょうか…(汗)。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。