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贋作の需要

よしをです。
骨董蒐集をしていると、贋作との出会いは避けられません。
世の中には、真面目な品よりも、圧倒的に贋作のほうが多く、
審美眼とともに、あるいはそれ以前に、
真贋の目利きができるかどうかが、骨董蒐集のポイントです。

先日、思い切って、贋物をまとめて不燃物ゴミに出しました。
何度も残念な品を入手し、おそらくニセモノだろうと疑いながらも、
あるいはホンモノではないかという一縷の望みとスケベ心をもって、
未練がましく所持している陶磁器が、手元にまだ数点残っています。

贋物には、当初から人を騙す目的で作られたものから、
習作の類いまで、来歴にはさまざまな事情があります。
以前もお伝えしましたが、
真贋を見定めるのは、買い手の能力によるところが大きく、
意図的に贋物を売りつけたという立証が難しいため、
その品を売った骨董店に、責任や補償を求めることは難しいのですが、
骨董蒐集家にとっては、まったく価値のない古美術風の品々にも、
一定の需要があるということですから、困ってしまいます。

たとえば、ホテルや外国人向けの宿、古民家カフェのような場所では、
インテリアとしての需要があります。
あくまでインテリアの一部なので、本物にこだわる必要はありません。
インテリアの市場のなかで、物品が流通するうちは問題ないのですが、
その品が一旦、骨董のマーケットに紛れ込んでしまうと、
騙されるのは自業自得とはいえ、
多くのコレクターに、悲劇を及ぼすことになります。

ニューヨークのメトロポリタン美術館では、
美術品を購入する際、学芸員がチェックリストにしたがって、
厳重な審査をおこなっていて、
学芸員が、チェックリストに一点でも疑義を申告すれば、
理事会が購入を認めないという仕組みになっています。

審査項目のトップ項目は、
「その美術品をみた瞬間に感じたことを、最初に浮かんだ言葉で書け」
というものです。
科学判定などは、あとからついてくる、いわば結果論であり、
それよりも、当該の美術品そのものが、感動を想起させるかどうかが、
美術品としての価値であると、メトロポリタンは考えています。
そのために、人間の直観力を重要視し、
初見の感想を具体的に記述させるという手順を踏んでいるのです。

わたしが信頼する、著名な骨董店主が大切にしている感性は、
その品を目の前にして、違和感を覚えるかどうかだといいます。
店主曰く、違和感とは、いわゆる「約束事」とは異なる、
物を無数に見てきたことに由来する感覚であるといいます。
メトロポリタンが重視している審査眼と同じ意味でしょう。

わたしのような凡百の煩悩まみれのコレクターの場合は、
せいぜい、信頼できる専門家に贋物の指摘を受けたうえで、
あらためてその品を眺めて、
自らの感覚と照合させることを繰り返すことになりますが、
いつまでたっても、煩悩とのせめぎ合いです。
だから骨董は面白いともいえますが、なにせ出費の痛みが…(涙)。
ましてや、感動や違和感の境地となると、一生到達しそうにありません。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。