さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

魔女の雑草

よしをです。

 

アフリカで、トウモロコシ、イネなどの農作物に大きな被害を出し、

年間被害額が1兆円をこえるともいわれている、

寄生植物「ストライガ」の駆除方法を、

名古屋大学などの研究チームが開発しました。

 

ストライガは、サハラ砂漠以南を中心に分布していて、

現在は、さらに、その勢力範囲を広げつつあります。

ピンク色の美しい花が咲き、見た目はかわいらしいのですが、

その生態は、獰猛ともいえる有害植物です。

トウモロコシなどの穀物の根に取り付いて寄生し、

栄養分や水分を奪って、宿主を枯らしてしまうため、

現地では、「魔女の雑草」の異名をもち、恐れられています。

 

ストライガは、ひとつの個体から10万粒の種をつくり、

その種は、風に乗って飛び、広範囲に広がります。

種の大きさは、約0.2ミリと微小なため、発見が困難なうえ、

熱に強く、除草剤も効きません。

さらに、種は、土中にあって、30~40年経過しても、

休眠状態になって、その後も発芽能力を失わないといわれています。

 

種は、植物の根からでるホルモンに触れると、目を覚まし、

発芽して寄生します。

一旦、ある地区が、汚染されてしまうと、駆除することが困難なため、

そのまま耕作放棄されてしまう農地も、多くあるそうです。

その名前が示す通り、まさに、無敵の有害植物です。

 

しかし、この魔女の雑草にも、弱点がありました。

ストライガは、発芽からしばらくで、宿主に寄生できないと、

枯れてしまうのです。

この性質に目を付けた研究チームは、

ストライガだけが反応する、人工のホルモンの開発に成功しました。

実験では、ホルモンに誘発されて、

ほぼすべての個体を、強制的に発芽させることに成功し、

発芽した個体は、次々と枯死していきました。

 

実際に、ストライガに汚染された農場の土に、人工ホルモンを散布し、

トウモロコシを植えると、ストライガの発生はおこらず、順調に生育しました。

人口ホルモンの有益性が、証明されたのです。

 

人工ホルモンのコストは、1ヘクタール当たり40円と安価で、

ほかの植物や、土壌にも悪影響がないということなので、

これから一気に、対策が広がるだろうと期待されています。

一時は、ストライガの貪欲な勢力地図の拡大は、

人間の能力を凌駕する勢いでしたが、

ついには、先進科学の力の前に、屈することになりそうです。

 

おそらく、ストライガは、元々、

人間の営み(農業)とは、遠く離れた場所に存在していたのでしょう。

そのころは、人間にとって、恐るべき存在ではありませんでした。

しかし、かれらの生息地が、人間の世界に広がってしまったことにより、

人間による駆除の対象になってしまったのが、運の尽きはじめでした。

 

かれらの爆発的な繁栄は、絶滅への序章になりました。

いみじくも、人間や家畜に被害を与えてきたオオカミの絶滅と、

同じような不運を、想起させます。

そう考えると、ほんの少しですが、

ストライガの不運に、想像をめぐらす気持ちにもなるのです。

 

 

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学生スポーツと留学生

よしをです。

 

箱根駅伝で、初めて外国人選手が起用されたのは、1989年のことです。

山梨学院大学が、ケニアからの留学生ランナーを起用し、

花の2区といわれるエース区間で、オツオリ選手は、

7人抜きの驚異的な区間賞をたたき出しました。

他校でも、外国人選手の起用が増えてきたため、

箱根駅伝では、2006年から、外国人選手のエントリーは2名まで、

出場は1人のみ、というルールができました。

 

全国高校駅伝では、

1992年に、仙台育英高校が、初めて外国人留学生を起用しました。

翌年には、外国人留学生(男女2名ずつ出場)の活躍により、

圧倒的な強さで、アベック優勝しています。

この結果を受け、1995年には、外国人留学生は、

男女とも、エントリー2人、出場1名というルールがつくられました。

また、留学生と日本人選手とのタイム差により、

レース序盤から、圧倒的な差が開いてしまうため、

最長距離区間の1区では、留学生の起用が禁止されました。

 

高校バスケは、さらに異様な光景です。

インターハイの試合を見たことがある人もいるかもしれませんが、

強豪チームは、どこも外国人留学生を起用していて、

まるでNBAの試合を見ているような錯覚を覚えます。

高校バスケでも、やはり、エントリーは2名までで、

オンコートは1名(コートには、2人同時には出場できない)という

外国人枠が設定されています。

バスケにおいて、高さは、決定的なアドバンテージですから、

5人編成のチームに、

身長2メートル前後の黒人選手が1名入っていれば、

それだけで、まるで違ったチームが仕上がってしまいます。

ちなみに、福岡第一高校に所属していた、セネガルからの留学生が、

年齢詐称をしていたとして、

2004年の全国大会優勝を、取り消されたこともあります。

(高校3年時は、23歳だったといいます)

 

勝てば何をやってもいい、という安易な考えが、

モラルを低下させた悪例でもありますが、

かつての能代工業のような、普通の公立高校がトップに立つということは、

今の制度が変わらない限り、あり得ないことになります…。

 

大学ラグビーの世界でも、同じことがいえます。

今シーズンの大学選手権で、準々決勝にすすんだ8校のうち、

外国人留学生を起用しているのは、

東海大学大東文化大学天理大学帝京大学流通経済大学の5校、

留学生を起用していないのは、

明治大学早稲田大学慶應義塾大学の、いわゆる伝統校の3校でした。

 

準決勝で、帝京大学の連続優勝が途切れるという波乱がありましたが、

勝った天理大学も、帝京大学と同様、

フィジカルの優れた外国人選手を複数起用して、

勝利に結びつけたものです。

 

外国人留学生の高い運動能力に学ぶことが多いというのも、

事実だとは思います。

かれらの活躍によって、日本人選手のスキルアップが期待できる

という意見もあるでしょう。

しかし、前述の選手の年齢詐称事件のように、

学校の知名度を上げたいばかりに、

倫理の低下を招く可能性があるというのも、一方の事実です。

あくまでも、学生スポーツは、

教育の一環であることを、忘れないようにしてもらいたいものです。

 

ラグビー大学選手権決勝戦では、

判官びいきもありますが、ぜひ、明治大学の奮起に期待したいと思います。

 

 

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労働生産性と働き方改革

よしをです。

 

すでに仕事始めを終わられた人もいると思いますが、

わたしは明日(1日7日)が仕事始めです。

幾つになっても、長期休みの後の出勤初日は憂鬱なものです。

 

さて、今年は、働き方改革が、法制度上でも、大きく動く1年になりそうです。

働き方改革が語られるなかで、注目されているのが、

労働生産性をめぐる議論です。

 

労働生産性について、

日本は、主要先進国のなかでも、効率が悪いとされています。

労働生産性が低いといえば、

いつまでも、だらだらと残業や、会議をしているイメージがありますが、

実態はどういうことなのでしょうか…。

 

少し古いデータですが、

2016年の労働生産性の高い国、①~⑤位について、特徴を調べてみました。

 

アイルランド

外資に対する法人税が、欧州各国で、もっとも低い

通信事業の規制緩和がされている

 

ルクセンブルグ

欧州最大の金融センター(労働人口の20%が金融関連に従事)

重工業など、海外資本の誘致に積極的

 

アメリカ合衆国

1990年代から労働生産性が急激に向上

IT産業の急速な発展

サービス業でも、対価を受け取るシステムが確立

 

ノルウェー

人口が少なく、サービス業の比率が低い

産油国である

 

⑤スイス

精密機械などの高付加価値産業や、金融、保険業が発達

 

ちなみに、主要7か国に限ると、統計が始まった1970年以降、

G7のなかで、日本はすっと最下位が続いています。

 

アメリカ合衆国

②ドイツ

③フランス

④イタリア

⑤イギリス

⑥カナダ

⑦日本

 

労働生産性の高い国というのは、アメリカを例外として、

金融センターや、資源をもつ国、特定の産業に特化した国や、

外国資本比率が極端に高い国、

特定の高付加価値産業をもつ、人口の少ない国で占められています。

 

アメリカの労働生産性については、IT産業が躍進していることもありますが、

もう一方の要因として、

サービス業の在り方が、日本とは決定的に異なることがあげられます。

 

日本は、サービス業が、ある意味、過剰に発達している特殊な国ですが、

アメリカのように、サービス業が対価を受け取るケースは限られています。

そのことが、日本の労働効率の低下につながっているのです。

 

何度でも再配送してくれる宅配便の存在や、店舗での包装サービス、

過剰ともいえる衛生状態の維持、

24時間営業や、年末年始休みなしの小売店や飲食店、等々。

日本において、これらのサービスは、すべて、プライスレスなのです。

ちなみに、自宅まで新聞を宅配してくれる国は、先進国でも少なく、

アメリカでは、新聞は庭先に投げ込まれて終わりです(雨の日でも!)。

 

ビジネスシーンでも、同じことがいえます。

日本のビジネス界においては、クライアントの要望を叶えるため、

発注先の業者は、できるだけ早く対応することが求められています。

 

取引先から、

「明日までに計画書をもってきて!」といわれれば、

「わかりました」と、答えざるを得ないのです。

これも、当然、追加料金を受け取れることはなく、プライスレスです。

 

わたしたちの社会は、労働生産性の低下と引き換えに、

これらの、きめ細かいサービスを甘受しているわけです。

したがって、労働生産性の見直しについては、

その是非に関して、よくよく考えなければなりません。

 

元来、働き方改革については、出産・育児、介護との両立など、

ワークバランスの見直しが、主たる目的だったと思うのですが、

電通女子社員の自殺事件を受けて、

いつの間にか、労働時間の短縮に、論点がすり替わってしまった印象があります。

 

もちろん、人の生命が大事であることには、疑いはありませんが、

過剰な労働制限は、産業の衰退を招くことも、知っておく必要があります。

労働時間の短縮とは、先述のように、

日本の社会が、サービス低下をどの程度、受け入れられるかの問題でもあります。

ヒステリックな反応をして、極端に振れるのではなく、

「日本の良さ」でもある、プライスレスなサービスを、必要な分は残せるよう、

バランスのとれた改革がすすむとよいと思います。

 

 

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Amazonギフト券の可能性

よしをです。

 

Amazonギフト券とは、

Amazonで買い物をする際に使える、プリペイドカードです。

種類は9種類あって、

使い切りタイプと、チャージできるタイプがあります。

 

贈答用にも使われますが、

チャージタイプのギフト券は、メリットが大きいため、

自分使い用する人も多いようです。

 

現金をチャージすると、

プライム会員で2.5%、通常会員で2%のポイントがつきます。

たとえば、現金を10万円チャージした場合、

2500円(2000円)のポイントがつき、Amazonでの買い物に使えます。

さらに、ポイントの有効期限が10年と長く、

失効するリスクが少ない、というメリットがあります。

(偉そうにお伝えしていますが、実は、最近知ったばかりで…)

 

これ、銀行預金の代わりになるかも…。

 

そうなのです。

チャージしたお金は、Amazonでの買い物に限定されるとはいえ、

ほぼゼロ金利の銀行預金に比べて、

使う場合のメリットは、現金よりもはるかに大きくなります。

また、Amazonギフト券は、ネットで売ることもできるので、

チャージ残高に応じて、現金化することも可能です。

 

日本の国内資産の多くが、

個人の銀行預金や、タンス預金などで、凍結されています。

消費者の間に、メリットが周知され、

銀行預金から、Amazonギフト券への流れが生まれれば、

国内消費拡大への起爆剤になるのではないか、と想像します。

 

アメリカでは、

「Amazon GO」という、Amazonが展開する店舗(無人コンビニ)が、

展開しはじめています。

もし、日本国内でも出店されるようになれば、

Amazonギフト券の利便性は、さらに高まります。

 

個人的には、外資に対するアレルギーがありますが、

Amazonギフト券の普及については、

旧来の日本の悪習(過剰な預金)を断つ効能を生み出すことが、

可能なのではないかという、期待感をもっています。

 

ただし、Amazonの販売シェアが大きくなるにつれ、

既存の実店舗での物販に影響が出てくるため、注意が必要です。

また、国内企業の保護という意味でも、

Amazonに対抗する、プリペイドカードの台頭が待たれます。

とくに、交通系プリペイドカードには、奮起を期待します。

 

以前にもお伝えしたように、

わたしは、クレジットカードの決済は、できるだけしない方針です。

なぜなら、クレジットカードには、

電子的、あるいは人為的な不正の可能性があり、

使用時に、危うさを覚えるからです。

 

その点、プリペイドカードは、残高の範囲でしか使えず、

電子的な不正は、比較的少ないと思われるので、

安全な決済方法として、有力なツールだと考えられます。

 

ただし、わたしは、一方的なキャッシュレスの拡大には否定的です。

日本の国情を考えた場合、

現金で買い物ができる余地も残しながら、

同時進行で、プリペイドカードの普及をすすめるべきでしょう。

 

わたしは、プリペイドカードの普及を応援します。

 

 

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外国人と言語

よしをです。

 

東南アジアの刑務所では、食事のメニューは選択制になっています。

牛を敬うヒンズー教徒向け、豚を忌避するイスラム教徒向けと、

特定の宗教信者に向けて、食事の気配りがされているのです。

そうしないと、暴動になってしまいます。

 

アメリカのような移民国家はもちろん、

最近では、イスラム系移民が増えた西欧でも、

刑務所や病院などでは、同じように食事の気配りがされています。

日本でも、増加するイスラム系観光客のための、

特別メニューを用意する飲食店も、ぼつぼつ増え始めているといいます。

ハラールというのだそうですが。

 

食事だけでなく、さまざまな風習をもつ外国人や移民に対して、

社会は、対応が求められます。

とくに、言葉の問題は重要です。

実質的な移民政策に舵をとった日本では、

日本語のわからない外国人に対して、どんな対策をしているのでしょうか。

 

わたしの町内にある、公立小学校では、

1クラスに2~3人の外国人児童がいると聞きました。

出身国もさまざまで、中国、韓国、フィリピン、ブラジルの出身児童がいます。

これは、わたしの住む町だけの現象ではなく、

全国の、普通の公立小学校が、多国籍状態になっているようです。

日本になじみ、言葉にも不自由がない児童もいますが、

外国語、それも英語以外の言葉でしか、

コミュニケーションがとれない子どもや、保護者もいます。

かれらとの接触の仕方について、学校では、頭を痛めているそうです。

 

少し前、大きな病院で精密検査をする機会があったのですが、

中東出身もしくはインド人の患者(2人)が、順番待ちをしていました。

お互い、よくわからない外国語で話をしていましたが、

医師とのコミュニケーションがとれるのか、

他人事ながら、心配になった記憶があります。

 

現在、日本国内の鉄道や公共施設においては、

英語のほかに、中国語、韓国語、ポルトガル語など、

4~5国言語の表記がされている場所がたくさんあります。

役所の案内板や、観光地、自治体指定のゴミ袋などにも、

数か国の言語で、さまざまな注意書きがされています。

ちなみに、中国語については、

繁体字(台湾)と、簡体字中華人民共和国)の、

2種類表記という徹底ぶりです。

 

このような、複数言語による説明や注意書きは、

外国人に対する、ホスピタリティ向上が目的ですが、

ある中国人(日本語は堪能です)からは、

「A市には中国語の注意書きがあるのに、なぜ、B市にはないのか」

という不満を聞いたことがあります。

 

日本国内の外国語表記には、ルールがなく、対応がバラバラなのです。

しかも、親切心で何か国語も並べて表記してあるのでしょうが、

その分、伝える情報も薄くなりますし、

正直いって、日本語がわかる人間としては、表示がすごく見づらいです。

 

テクノロジーは日々進化しており、

相当優秀な、多言語の翻訳機も、出てきていますので、

学校、役所、病院、その他の公共施設などには、

幅広く、それらの翻訳装置を普及させるべきと考えます。

 

その代わり、公共の場所における外国語表記については、

英語に統一して、煩雑な多言語表記を禁止してほしいと思います。

その方が、より多くの情報を、載せられるはずです。

 

ちなみに、今や多国籍国家となったフランスでは、

公共の場所でも、フランス語以外の表記は一切ありません。

有名な美術館などでも、フランス語以外の案内は一切ありません。

 

英語表記ぐらいしてもいいのにと、個人的には思いますが、

在住外国人や旅行者が混乱しないのは、

フランス国内では、

フランス表記しかないというルールが、広く認知されているからです。

 

日本においても、統一ルールの確立が待たれます。

 

 

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中国の贋作事情

 

よしをです。

 

中国では、長らく、骨董品の贋物づくりがおこなわれていますが、

昨今の富裕層の増加などの要因によって、

骨董品の需要が高まり、贋物製作が産業化しているということです。

 

中国全土で、骨董品の偽物がつくられています。

現在、全国で10万人を超える人々が骨董品の贋作に従事していて、

贋作の年間取引額は、100億元(1200億円)以上にのぼるといいます。

まさに、一大産業です。

 

なかでも河南省は、贋物製作の一大産地だといわれています。

ある300世帯ほどの小さな村には、20以上もの贋作工場があるそうです。

贋作工の熟練の技で、陶磁器は、当時と同じ工法と土でつくられ、

器体や絵付けは本物と比べても、ほとんど遜色がありません。

 

たとえば、唐三彩は、酸などで腐食させ、最後に、わざと一部を壊します。

あるいは、破損した部分に、ホンモノの破片をつなげ、ホンモノに見せかけます。

磁器の場合は、完成後、2~3年ほど、土に埋め、

掘り出したあとで、塩酸などで、経年劣化に見せかけた加工をおこないます。

磁器の釉薬のうえに土が張り付き、

あたかも、長い時間、土中にあったように見えるのです。

銅器は、成形したのち、職人が、手でこすり、叩いてゆがみをつくり、

薬品で腐食させる加工をおこないます。

 

このように、専門家でさえ、ホンモノと見分けがつかないほど、

完成度の高い作品は、田舎から北京や上海といった大都市に運ばれ、

骨董市場や、オークションにかけられます。

 

中国では、まさに、国ぐるみで、贋物のロンダリングがおこなわれています。

北京の潘家園骨董市場は、公認の骨董市場ですが、

残念なことに、その大多数が贋作であるといわれています。

正規の骨董市場やオークションを経由した偽物は、

ホンモノのお墨付きを得られます。

そのようにして、ホンモノのお墨付きを得た偽物は、

中国全土だけでなく、海外(日本にも)に、流通していくのです。

 

現在、日本国内で流通している唐三彩、

たとえば、ラクダに乗った胡人の像などは、

私見ですが、(ホンモノ1)に対して、(偽物100)の割合でしょう。

地方の骨董市などに行くと、よくわかりますが、

国宝級の唐三彩(贋物)が、ゴロゴロあります。

 

先述のように、鑑定は、専門家でも難しいといわれています。

それは、中国陶磁が、

古代から、非常に完成度が高く、作陶が継続しているためです。

景徳鎮では、

数百年前から、現在と変わらぬ工法と材料で、作品がつくられ続けています。

 

人を騙すために偽物をつくるのか、

それとも、美術品や模写として世に出すのかは、決定的な違いです。

いつの時代、どの国でも、贋作はつくられており、

日本も、例外ではありませんが、

これほどまでに、故意の贋作が横行し、

まるで、開き直ったかのように、産業化している、中国の現状は、

日本やほかの国とは、まるで事情が違うと思うのです。

(贋作は、隠れてつくるもの、というイメージをもっています)

 

現在の中国には、拝金主義や、利己主義が横行しています。

古代と比べて、倫理観が劣化しているように感じ、非常に残念です。

 

 

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AIと新世代

よしをです。

 

恥ずかしいほどにアナログなわたしですが、

日々進歩する科学技術には、「注目していかねば」、という、

危機感と焦りだけはもっています。

 

AIの進歩は目覚ましく、

たとえば、チェスをはじめ、囲碁、将棋のような知能ゲームの世界でも、

人間の能力を超えている、あるいは超えつつあることが実証されています。

その理由に、AIの進化にディープラーニング(深層学習)が、

取り入れられていることがあります。

 

AIの能力が、人間を完全に凌駕することで、社会が変容する、

シンギュラリティ(技術的特異点)を迎えるのは、2045年だといわれています。

しかし、技術の進歩は、さらにスピード感を増しているように感じます。

前述の知能ゲームの世界では、シンギュラリティはすでに現実的です。

囲碁、将棋のソフトは、

人間の専門家から学ぶという、古典的な学習法から脱して、

ソフト同士が数万局を戦い、

その経験から、独創的な戦い方を生み出すというプロセスを繰り返し、

ソフトは、一気に進化し、今や実力はトッププロを超える勢いです。

 

人間の手を介さずに、機械同士で切磋琢磨し、精度をあげる手法を、

「敵対的競合」といいます。

敵対的競合について、

偽札づくりの偽造犯と、警察との関係を例にとって、説明します。

偽造犯がつくった偽札が、警察に見破られます。

そこで、犯人は、さらに精巧な偽札をつくり、警察がそれを見破る、

その繰り返しにより、やがて、ホンモノそっくりの偽札ができあがり、

最終的には、誰もホンモノとニセモノの区別ができなくなります。

 

AIがやっていることは、そういうことです。

しかも、かれらはマシンですから、スピード感は、人間とは比較になりません。

複数のAI頭脳が、それぞれ警察役と偽造犯役に入れ替わり、

無数の偽札を作りあい、見破りあって、偽造のレベルをあげていくのですから、

これはもう、人間の能力の及ぶものではなくなっていきます。

 

また、敵対的競合は、検討のプロセスが人間を介在しないので、

意思決定の流れが、ブラックボックス化するという問題があります。

ゲームのように、勝敗という明確な目的があれば、問題はないのでしょうが、

もっと複雑な結果を求めるケースにおいて、AIの検討が、

人間が有する倫理や、善悪といった価値観が、維持されるのかどうか、

どこにも保証がないのです。

その結果、ひょっとすると、「ターミネーター」や、「マトリックス」の世界が、

現実化してしまうかもしれません。

 

しかし、機械に倫理観を埋め込むことで、

人間社会が容認している、

規則や運用に関する臨機応変な解釈や、融通性をなくしてしまうこともありそうで…。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。