悩ましい骨董品のサイズ
よしをです。
本来、違う目的でつくられた古物を、
転用(見立て、といいます)することを、
骨董の世界では、粋であるとしています。
たとえば、わたしが蒐集している李朝の陶磁器の場合、
・薬湯用の壺や化粧壺を、徳利に
・燈明皿や何かの小椀を酒杯に
などの転用が、よくある例です。
李朝以外では、たとえば西洋のアイスクリーム壺を酒杯に見立てるとか、
弥生時代の壺を花瓶に、小壺を振り出し(茶道具の一種)に、など、
骨董の世界では、実に多様な見立てがされています。
しかし、ここでもやはり、贋作の誘惑が待っています。
李朝酒器については、わたしも何度も痛い目に遭いました。
朝鮮には、日本酒を飲む場合の、猪口に近い器はありません。
したがって、日本酒のように、ちびちび飲むという嗜み方ではなく、
親指を器に突っ込んで、がぶがぶ飲んでいました。
(庶民だけでなく、高貴な人も同じ飲み方です)
そのような飲み方ですので、
盃ではなく、おおぶりの茶碗か木椀が、
徳利ではなく、大きな椀か、土瓶のような器が、使われていました。
日本酒を嗜む場合、
徳利は、1~2合程度入るようなサイズが適当であり、
酒杯は、口径が6~9センチのものが、持ちやすいです。
しかし、朝鮮では、このようなサイズの酒器はないので、
ほかの目的の器を、転用(見立て)して使うわけです。
それでもまだ、徳利のほうは、見つけやすいのですが、
酒杯となると、しっくりしたものには、ほとんどお目にかかれません。
繰り返し言いますが、
10センチ未満のサイズのものは、滅多にないはずなのですが、
ちょいちょい、お目にかかることがあり…。
…贋物の李朝の酒器を、いくつも掴まされました(涙)。
欲をかくと、こういう結果になります。
以前、わたしが好んで使っていた酒杯は、
安南青磁といわれる、深緑色の酒杯です。
15~16世紀ごろ、ベトナムから中国(明)に、
多くの陶磁器が輸出されましたが、
かなり多くの船が、ベトナムのホイアン港の沖に、台風で沈没しました。
20世紀になってから、沈没船が、次々と積み荷ごと引き上げられ、
その一部が、回りまわって、日本のわたしの手元にあるというわけです。
さて、この器ですが、口径は6センチほどで、
元々、酒用に作られたものではありません。
骨董店主によれば、
化粧道具、おそらく、ご婦人が口紅を塗るための小皿ではないか、
ということでした。
海に500年以上も浸かっていたので、
ところどころ青磁が劣化して、白く濁っている部分があり、
酒を注ぐと、キラキラ光るように見えます。
経年劣化はしていますが、海にあったからこそ、
壊れることもなく、キズがつくこともなく、
作られた時代に近い姿で、わたしの目の前にあります。
つくづく、骨董はロマンだと思います。
値段は、それほど高いものではありません。
宝と思えるものは、値段ではないと、しみじみ思わせる一品です。
最近は、独酌することもなくなりましたが、久しぶりに使ってみようか…。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。