謝罪という概念
よしをです。
日韓関係が回復しないまま、破綻に向かってまっしぐらの昨今ですが、
このボタンの掛け違いは、
お互いの文化の違いを理解していないことからはじまっています。
日本人は、これまでも、
日本と韓国に、価値観の相違があることはわかっていましたが、
謝罪という概念についても、決定的な違いがあるのだということを、
あらためて思い知らされた昨今です。
たとえば、アメリカ人は、めったに謝罪しない、などといいますが、
韓国人のそれは、根本的に種類の異なるものだということが、
ようやくわかってきました。
最近の話題では、韓国政府は、
レーダー照射事件で、あからさまな嘘の資料や説明をしたうえで、
ありもしない自衛隊機の異常接近を非難したり、
慰安婦問題をめぐって、文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、
天皇陛下による謝罪を求める発言をしたことに関しても、
日本政府は謝罪と発言の撤回を求めましたが、応じませんでした。
日本人の常識では、謝罪というのは、自らの過ちを認めて許しを請うことと、
相手の反省を受け入れて許すという、ふたつの行為で成り立っています。
しかし、韓国人の常識では、(謝罪=加害者が非を認めた)ということは、
相手が、自分より序列が下であると認めた、ということになるのです。
したがって、かれらの脳内において、
そもそも、序列が下位にあるべき日本に対して、
謝罪することなど、絶対にありません。
つまり、日本人の考えでは、個人でも国家のレベルでも、
お互いが対等であることを前提として、関係性が成り立っていますが、
韓国という国家や、韓国人にとっては、
どちらの序列が上か、ということでしか関係性が成り立たないのです。
したがって、かれらは、謝罪して過ちを認めた相手に対しては、
何度も繰り返し貶めたり、執拗に何度も謝罪させたりして、
序列の確認作業をおこなっているのです。
韓国や韓国人にとって、謝罪は終わりではなく、はじまりです。
ようやく、日本政府も、それに気がつきはじめましたが、
現政権になって、寄せては返す波のように、トラブルが相次ぎ、
すでに取り返しのつかないところまで拗れてしまいました。
なにせ、相手は、一切謝罪しないのですから、解決のしようがありません。
これまで、日本政府が、譲歩に譲歩を重ねてきたツケが、
回ってきてしまいました。
ケント・ギルバート氏が、「韓国には恥という概念がないのか」と、
訴えていますが、
ギルバート氏にしても、韓国を正しく理解しているとは思いません。
序列の確認をすることは、韓国人にとって、正義の行為なのです。
日本のこれからの対応も難しくなっています。
韓国単独であれば、方法もあるのでしょうが、
もし、日本が懲罰的な対処をおこなった場合には、
北や中国とのパワーバランスの混乱も予測されます。
韓国も、小国の浅知恵で、
それをわかったたうえで、日本に対して挑発的な態度をとっているわけです。
不愉快極まりないですが、本当にやっかいな国です。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。