さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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日本の教養レベルが高い訳

よしをです。

 

 

通勤電車に乗っていると、ほとんどの人が、手元のスマホに集中しています。

わたしは、普段は文庫本を読んだり、最近では、もっぱら、

資格獲得のためのテキストを読んでいることが多いのですが、

車中で新聞や本を読んでいる人は、本当に少なくなりました。

 

スマホの弊害は、いろんなところで指摘されていて、

若年老眼や、姿勢の悪化による首などの障害とともに、

知性レベルの低下も指摘されています。

以前、このブログでも話題にしましたが、

小説をまったく読んだことのない、若い社会人が増えていることも、

特段不思議なことではなくなりました(大変残念です)。

 

しかし、わたしは、依然として、

日本の教養レベルは、高いと考えています(将来的には大いに不安ですが)。

それは、日本語の優秀さ(同時に難解さ)にあると考えています。

とりわけ、漢字が優秀であることは疑いありません。

 

この点について、同じく漢字文化圏にある、現代の中国では、

奇妙な略字によって、表意文字のアドバンテージを消してしまい、

南北朝鮮では、漢字そのものを捨てて、

すべて「かな」表記にしてしまったという実態があります。

これらの国で、漢字文化が破壊されていることを考えれば、

昨今は、言葉の乱れが指摘されているとはいえ、

依然として、日本の漢字文化の優秀性は保たれていると実感します。

 

文明開化とともに、外国から流入してくる膨大な知識や概念を、

明治時代の教養人は、まさに見事に日本語に取り入れることに成功しました。

ここに記した、「文化、概念、教養」などの言葉も、その一例です。

 

現代の中国や韓国でも、日本語を語源とする漢字が輸入され、

今でも多く使われています。

中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国の、

「人民」も、「共和国」も「民主主義」も、すべて日本語由来の言葉です。

もっとも、南北朝鮮では、漢字をすべて、かな表記に代えてしまったので、

言葉の意味と共に、同音異義語も区別ができなくなりました。

したがって、これからは、どんどん語彙が少なくなっていきます。

かの国では、漢字廃止により、

愚民化に、歯止めをかけることができなくなってしまったのです。

 

それまでの日本には、存在しなかった、西洋の「概念」を表意したのは、

先人たちの功績の、ほんの一部です。

明治の日本は、言葉を作り出すだけでなく、

文献や研究書や、法令など、あらゆる書物を日本語に訳しました。

わたしの愛するロシア文学も、早くに日本語訳がされ、

トルストイドストエフスキーの難解な長編小説も、翻訳者の努力により、

日本語訳がされ、明治の文豪に大きな影響を与えました。

また、文学だけでなく、医学書科学書も、続々と、翻訳されています。

 

以前から、日本では、

他国に比べて、英語教育が貧弱である、といわれていますが、

それには理由があります。

なぜなら、他国に比べて、

英語を学ばなければならない必然性が、薄いからなのです。

 

たとえば、お隣・韓国で、特定の化学の原理を学ぶためには、

自国の言語で書かれた資料や文献が少ないため、

英語で書かれた資料が読めなければ、研究ができません。

また、国内には、特殊な分野の研究者がほとんどいないので、

欧米の大学や研究所に行かなければ、まともな研究ができないのです。

(最近では、日本語からの「孫訳」がすすんでいるとも聞きます)

 

しかし、日本の大学や研究機関では、

英語で書かれた研究資料はすべて日本語に訳されているので、

英語が読めなくても、自国で学習できますし、

国内には、優秀な研究者はいくらでもいます。

 

ノーベル賞を受賞する日本人は、

アメリカなどの研究所で活躍している方もいますが、

国内の大学一筋で研究を続け、受賞する研究者も少なくありません。

多くの国では、自国の文字に訳されている文献・資料は、ほとんどなく、

英語に頼らずに、自国言語だけで高度な学習や研究ができるのは、

欧米以外では、日本しかないのです。

 

わたしたちは、先人たちの好奇心や、その成果に感謝しながら、

通勤電車の読書ひとつをとっても、感謝を忘れないようにしたいものです。

スマホは、知的なものは、何ひとつ生み出すことができませんから。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。