さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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嗚呼、リベラルってヤツは

よしをです。

 

リベラルとは、本来の言葉の意味からすれば、

自由主義とか、政治的な中道を表す言葉だと思いますが、

日本の国内政治においては、革新派を意味する言葉として使われています。

すでに、この時点で欺瞞の香りがするのですが、それは、ひとまず置いておいて、

わたしのリベラルと呼ばれるグループのイメージは、「反対野党」です。

 

かれらの主張は、反戦や平和、対話による解決、多様な価値との共存など、

耳障りはいいのですが、非現実的な内容が多く、

問題解決能力が欠落していることが、最大の弱点です。

 

困ったことに、かれらの脳内では、

自らの考え方が、実現可能かどうかとか、

外国との交渉には相手がいるため、ある程度の妥協が必要である、

などといった、現実世界のリアリティが、決定的に失われています。

これは、左派インテリの悪癖だと思いますが、

実現不能で観念的な思考が、絶対的な正義として定着してしまっているため、

思考の軌道修正がきかないのです。

 

憲法改正論議などは、その典型です。

改正の是非を検討する以前に、かれらの思考は、

憲法改正すなわち軍国主義」といった、ステレオタイプの観念に結びつき、

ヒステリックな拒否反応から、思考停止に陥るのが、お決まりのパターンです。

 

憲法9条があったからこそ、70年間、戦争を回避できたという主張も同様です。

憲法絶対信者は、「お花畑」などと揶揄されることも多いですが、

もちろん、憲法の主張する、戦争放棄の意義自体は、尊いものです。

しかし、冷戦時代や、昨今の米中対立といった、

パワーバランスが変化する世界情勢において、

現在に至るまで、駐留アメリカ軍が、戦争抑止になっていることや、

日本の外交が、対中、対ソにおいて、微妙な立ち位置を模索してきたことなど、

日本が平和を保持するために、さまざまな対策を講じてきたことについても、

わたしたちは、想像を巡らせるべきでしょう。

 

最近、また、中東情勢がきな臭くなってきていますが、

日本は、トルコとも、イランとも、サウジアラビアとも、イスラエルとも、

等距離で外交をおこなうことができる、おそらく唯一の国家です。

日本は、近代を通じて、中東諸国から尊敬や信頼を勝ち取っていますが、

残念ながらそれは、

日本の平和憲法が、評価されているからではありません。

 

日露戦争において、日本は大国ロシアと戦い、勝利しました。

日本が、国民の多くの犠牲のうえに、

大国と互角に戦い、国としてのプライドを築きあげたという事実こそが、

欧米諸国やロシアなど、大国の事情に翻弄された中東各国が、

日本を信頼し、尊敬する、最大の理由なのです。

リベラル派の論客は認めたくないと思いますが、これは歴史の事実です。

 

国家は、自己の延長にあるもので、切り離すことができません。

自分が住む国をよくしたいというのは、正常な感覚です。

しかし、リベラル派の人びとは、

国家を、自己と切り離された存在としか、考えられないのでしょう。

かれらは、現実感もないまま、

ただただ、自分が生まれ、生活している国を、日々貶めています。

 

そんなに日本が憎いなら、外国に行けばいいと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。