さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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退職のサイン

よしをです。

 

人事の世界では常識ですが、

「会社を辞める」と公言する社員は、実はほとんど会社を辞めません。

その一方で、本当に会社を辞めてしまう人というのは、

退社について一切口にせず、準備を終えたところで、

突然、会社に辞表を出してしまいます。

 

「辞める」と周囲に公言する行為は、一種の承認行動です。

つまり、現在の自分の処遇に不満があり、自分の能力や努力を、

会社の上司や同僚に知ってもらいたいという、一種の甘えの構造です。

このような弱い意志の持ち主は、会社を離れる度胸などありません。

もともと離職するつもりはないのです。

 

人は誰しも不安があります。

その点、会社というのは、大変優しい組織です。

日本のサラリーマンは、会社に対して、

良い意味でも、悪い意味でも、情緒的な感情を持ちがちです。

一方で、同じ共同体に属していることの安心感から、

離れることができる、ごく限られた社員は、

会社と一定の距離感を保ち、ドライな感情をもつことができます。

 

関ケ原の戦いの前後、

かつて、豊臣秀吉の参謀だった、黒田如水は、

福岡を本拠に、わずかな手兵をもって、

主君や主力軍が中央に集結して留守状態の九州を、荒らし回りました。

大分・別府において、大友義統軍を破ったのを皮切りに、

瞬く間に、西軍所属の諸城を陥落させます。

 

九州の北半分を平定した如水は、

次は薩摩を奪おうとして進軍していましたが、

徳川家康からの書状を受け取り、進撃を中止しました。

如水は、東軍と西軍の戦いは、長く続くだろうと予測していたようですが、

わずか1日で決着がついたのです。

 

あとは、家康の嫌疑から逃れるために、

どう立ち回るべきかという問題が残りましたが、

如水は、巧妙に立ち回って、家康の疑いから逃れることができました。

 

家康は、如水に、領土と官位の恩賞を勧めますが、

 如水は、高齢を理由に固辞し、

平定した領土を差し出して、あっさりと隠居してしまいました。

ほかの武将であれば、戦国武将の最後の花道にと、

家康の追討軍と戦い、玉砕する選択をしたかもしれません。

 

隠居後は、茶を嗜み、

荒廃した太宰府天満宮の復興に、尽力したといわれています。

 

如水には、天下を窺う野心がありましたが、

それが果たせないとなると、別の生き方を選択し、

その後の人生を、楽しむことができたのです。

 

サラリーマンの引き際としても、見習いたいと思うエピソードです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。