アンダーソン土器盛衰記
よしをです。
1914年、中華民国政府は、
地質学者のユアン・アンダーソン博士を、
中国政府は、地下資源の発見に期待をしていましたが、
アンダーソン博士の興味は、
化石や考古学だったようです。
かれは、中国各地の地質調査をおこない、
のちに、北京原人の頭骨が出土する、
北京郊外の周口店を発見しました。
1921年に、アンダーソン博士は、
河南省の村で、彩文のある土器を、多数発掘しました。
いわゆる、アンダーソン土器と呼ばれるもので、
その後の発掘調査により、黄河上流の黄土地帯である、
青梅翔、甘粛省から、同様の土器が、出土しています。
アンダーソン土器は、
紀元前2600年~紀元前2000年に、作られたものです。
渦巻や直線などの、幾何学模様の組み合わせが、
施されているのが特徴で、
出土した土器の多くは、
50センチから1メートル弱の大きな壺です。
それは、おそらく実用的なものではなく、
高貴な人物の墳墓に、
副葬品として、埋められたものだと考えられています。
土中にあったため、時代のわりに、
コンディションのいい品が、数多く残されています。
アンダーソン土器というのは、
日本人の骨董商が名付けた通称で、
彩文土器というのが、正しい名称だと思います。
(ただし、通称が定着しているので、以後もアンダーソンとします)。
当初、アンダーソン土器は、
希少な骨董として、高価で取引されていました。
中国の骨董陶磁の常として、贋作もたくさん作られましたが、
中国の経済発展により、状況は、劇的に変化しました。
中國各地で、道路工事や建築工事がおこなわれると、
それこそ、そこら中からアンダーソン土器が掘り出されるようになり、
市民の盗掘などもあって、一気に値下がりしてしまったのです。
当初は希少性もあり、珍重されましたが、
サイズが大きいため、日本での人気も薄くなり、
日本国内では、数百万円で取引されていた大きな壺が、
2~3万円になってしまうような、極端な値下がりもみられました。
現在は、あらたな出土品が少なくなってきたので、
相場は、落ち着いているようです。
個人的には、高さ10センチ程度のものがあれば、
一点ぐらいは、手元にあってもいいかとは思いますが、
そんな都合のいい品はないようです。
こういうよこしまな欲をもっていると、贋物に騙されます。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。