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大仏建立と公害

よしをです。

 

聖武天皇平城京に遷都し、

東大寺を建立して、大仏(廬舎那仏)をつくるために、

全国から資材を調達し、

数万人もの労働者を徴用することになりました。

 

東大寺は743年創建し、

大仏と大仏殿は、同年に建設を開始します。

大仏建造の総責任者に任命されたのが、行基です。

行基は、大仏の完成を見ることなく没しますが、

その後も製作は続き、9年の歳月をかけ、

大仏殿と廬舎那仏は、752年に完成しました。

 

大仏建造のために、つかわれた材料は、

銅499トン、錫8.5トン、水銀2.5トン、

金440キロなどとなっていて、

膨大な資源が投入されたことがわかります。

また、建造にあたった人夫の数は、

のべ260万人に達しました。

当時の日本の人口は600万人ほどだと

推測されていますから、

いかに多くのマンパワーがつぎ込まれたのか、

驚かされます。

 

大仏建造現場では、事故が相次ぎ、

鋳造や鍍金の過程でも、多くの人夫が犠牲になりました。

 

水銀が水と交わると、微生物によって、

メチル水銀に変換され、

生物が体内に取り込みやすくなります。

海水に流れ出た水銀が、メチル水銀になり、

魚を経由して人体に取り込まれた結果、

甚大な健康被害を発生させたのが、

チッソ水俣工場の工場排水を原因とする水俣病です。

 

大仏は、銅で鋳造されたのち、金メッキが施されたのですが、

そのために、大量の水銀が使われました。

金と水銀を、1:5の比率で混合してアマルガムにし、

大仏の表面に塗布したのちに加熱して、鍍金をおこないます。

この作業によって、大仏殿の内部には、水銀蒸気が充満し、

作業員が吸い込み、

水銀中毒になるケースが多く発生しました。

 

液体状の水銀と比較して、

水銀蒸気の毒性は、さらに高まるといわれています。

金メッキの作業と同時に、

人夫がバタバタと倒れていく姿を見て、

大仏師の国中公麻呂と良弁僧上は、衝撃を受けますが、

現在の毒ガスマスクのような防具装置を開発して、

以後の中毒症状の発生を、おさえたという記録もあります。

また、大仏建造中には、

近くの若草山などに木や草が生えない状態になりましたが、

これなども、おそらく、水銀の影響だと考えられています。

 

このように、大きな犠牲の元、建造された大仏ですが、

当時の人びとが、どのような目でみつめていたのか、

現代人には計り知れないものがあるでしょう。

 

帚木蓬生の小説 「国銅」は、

大仏建立に挑む、ひとりの若者の姿が描かれており、

中高生に薦めたい、作品のひとつです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。