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源平盛衰記と深谷と林家彦六と

よしをです。

 

立川談志の「源平盛衰記」は、かれの代表作のひとつです。

平家物語のあらすじを断片的に話し、

軽快なテンポと毒舌を繰り出し、時事ネタを織り交ぜながら語る、

一種の漫談のようなもので、

地話といわれるジャンルの落語です。

 

源平盛衰記」は、

元々、七代目林家正蔵が得意にしていました。

正蔵から、息子の初代林家三平に伝わり、

三平が、後輩の柳家小ゑん(のちの立川談志)に伝えました。

こぶ平(二代目三平)は、この噺を、

父親の初代三平と、談志から教わったということですが、

林家一派以外には、この噺を演じる人はいないようです。

 

談志の源平盛衰記には、

荒船清十郎、こいつは深谷に急行を停めやがった」、

というエピソードが出てきます。

荒船清十郎は、深谷出身の衆議院議員で、

運輸大臣当時に、深谷駅に急行電車が停車することに、

便宜を図ったということで、

「ひとつぐらい、いいじゃないか」の台詞を吐いて、

1966年に、辞任に追い込まれました。

 

談志の噺に、なぜ深谷が出てくるのかといえば、

かれが、戦時中、深谷疎開していたからで、

深谷がとんでもない田舎だったことを、

揶揄したのでしょう。

疎開先では、ずいぶん虐められたのでしょうか、

弟子の立川談四楼によれば、

談志は、疎開中、農家の傲慢に怒りをもっていたそうで、

「米と野菜を持ってる奴は強えや」と語っていたそうです。

 

八代目正蔵を継いだのは、のちの、林家彦六です。

 

 

彦六は、談志同様に、自己評価の高いタイプでした。

長年、朝日新聞の愛読者でしたが、

朝日新聞の紙上で、

ある落語評論家が、当代の名人について、

八代目文楽、五代目志ん生、六代目柳橋、十代目馬生の名を挙げ、

「ここまでくると、次の指が折れない」としたことに立腹し、

当該評論家に、「お前さんの指はリウマチなのかい」、

と記したハガキを送り付け、

即座に朝日新聞の購読をやめて、赤旗を取るようになったのが、

共産党支持への転向の理由だとか。

 

彦六は、若き立川談志の芸を評価していましたが、

談志は、石原慎太郎ら、保守系の議員と親交があり、

(のちに自身も、自民党から参議院に立候補します)、

共産党支持者の彦六とは、そりが合いませんでした。

大先輩である、彦六の芸についても、

「怪談噺ばかりやる奴の気が知れねえ」などと、

陰口をたたいていたといいます。

 

なにがきっかけか、

あるとき、談志が、深谷からネギを取り寄せて、

林家彦六に送ったというエピソードが残っています。

談志にとって、深谷は、林家彦六と同様に、

愛憎相交わる存在だったのかもしれません。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。