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圓生と志ん生と芝浜

よしをです。

落語家になれば、大ネタの代表格である、「芝浜」は、
ぜひ演じてみたい噺です。
この噺を得意とした、桂三木助をはじめ、
五代目志ん生も、談志も、圓楽も、志ん朝も、小三治も、
最近では立川談春や談笑なども、芝浜を演じています。

落語好きな人には常識ですが、
六代目三遊亭圓生や八代目桂文楽は、「芝浜」を演じませんでした。
文楽は、少人数の人の前で一度だけ演じたことがあるという話があり、
その場にいた人によれば、出来は大変よかったといいます。
証拠がないので、都市伝説みたいな話ですが、
少なくとも、文楽も、高座には、芝浜をかけませんでした。
わたしは、演目と芸風とのギャップが、あまりに大きいように思います。

人情噺を得意とする圓生が、
芝浜を演じなかったことは、落語界の謎のひとつです。
弟子の三遊亭鳳楽が、
師匠の圓生に、芝浜を演らない理由を尋ねようとしたそうですが、
「突然、亡くなってしまったので、結局、聞けずじまいだった」、
という話をしていました。
いろんな憶測がありますが、
桂三木助が十八番にしていた噺なので、
圓生が遠慮したというのが、定説になっているようです。

圓生林家彦六犬猿の仲でしたが、
不仲の理由のひとつが、
あるときから、彦六の得意にしていた、「中村仲蔵」を、
圓生が、高座にかけるようになったことだといいます。
二人のネタは、多くが重なっていましたが、
中村仲蔵」については、彦六の思いがとりわけ強く、
かれの聖域だったのかもしれません。
その意味で、
三木助にとっての芝浜は、まさに聖域だったといえるでしょう。

もし、若い頃からチャレンジしていたならば、
圓生にも、芝浜を演じるチャンスはあったかもしれませんが、
お互いに長じて、三木助の十八番となってしまうと、
演じることは難しいのでしょう。

その割に、志ん生なんかは、平気で演じていたわけですから、
圓生には、別の理由があったのかもしれません。
それにしても、
300以上の演目をもつ圓生から、芝浜が洩れていたというのは、
偶然なのかどうか、実に不思議なことです。

生前、立川談志が、
志ん生が、「船徳」を演ったら、面白かっただろうとコメントしています。
文楽の十八番だから演らなかったのだろう」、と語っていますが、
まさに、そのような理由だったでしょう。
志ん生の芝浜は、すばらしいと思います。
残酷な言い方ですが、その点、三木助の芝浜は、
そこまでの芸ではなかったとも受け取れるわけで…。

圓生の場合、もし、三木助への忖度以外の理由があるとすれば、
三木助よりもうまく演じる自信が、なかったからかもしれません。
圓生ファンのわたしとしては、信じたくない説ですが。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。