さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

大空の戦場ロマン

よしをです。

 

マンフレート・フォン・リヒトホーフェンは、

第一次大戦の、ドイツ軍のエースパイロットです。

深紅の複葉機を駆って、大空を華麗に舞った、

レッドバロンの異名をもつ、無敵の撃墜王でした。

 

1892年、リヒトホーフェンは、ドイツのブレスラウという、

地方都市に、男爵の長男に生まれ、士官学校を卒業すると、

第一次大戦の東部戦線で、槍騎兵として活躍しました。

かれは、戦場で、はじめて飛行機が使用されるのを見て、

強い憧れをもつようになりました。

 

当時の飛行機は、おもに偵察任務をおこなっていましたが、

やがて、飛行機の搭乗員は、

拳銃やライフルで、撃ち合いをするようになり、

軽機関銃を搭載する飛行機もあらわれました。

戦闘機の登場です。

 

飛行機乗りになったリヒトホーフェンは、爆撃機に搭乗しました。

爆撃機といっても、現代のものとは異なり、

飛行機から直接、搭乗員が爆弾を投下するスタイルですが、

リヒトホーフェンは、自らの工夫で、爆撃機に機銃を搭載し、

フランス軍のファルマンⅢと、はじめての銃撃戦ののち、

撃墜するという戦果をあげました。

 

リヒトホーフェンは、

爆撃機から戦闘機に転向し、順調に戦果をあげました。

イギリス軍のエースパイロットであった、

ホーカー少佐の搭乗機を撃墜するなど、華々しい戦績が認められ、

エリート部隊の第11戦闘機中隊の中隊長に、抜擢されました。

かれの搭乗する戦闘機、アルバトロスDⅡは、

あえて敵にも見やすいように、赤く鮮やかにペイントされ、

ドイツ軍内では、「赤い戦闘機乗り」、フランス軍からは、「赤い悪魔」、

イギリス軍からは、「赤い男爵(レッドバロン)」と呼ばれました。

 

リヒトホーフェンは、

撃墜機の数(スコア)が80機という前人未到の戦績を残しますが、

ついに、最期のときを迎えます。

低空飛行するイギリス軍の戦闘機を追って、攻撃を加えた際、

後方からのイギリス機からの攻撃と、

地上からの攻撃を同時に受けました。

戦闘機は不時着し、

リヒトホーフェンは、胸などに致命傷を受け、即死しました。

25歳という短い生涯でした。

 

リヒトホーフェンは、

騎士道精神にあふれ、責任感が強く、統率力にも優れました。

ハンサムなかれは、ドイツ女性の憧れの的でした。

戦闘の場では、ときに無謀な挑戦をすることもあり、

それが、最後には、致命的な結果を招きました。

 

レッドバロンは、日本のアニメにも影響を与えています。

公式なコメントはありませんが、

宮崎駿の「紅の豚」のモデルは、おそらく、リヒトホーフェンであり、

機動戦士ガンダム」の、ジオン公国のエースパイロットで、

深紅の機体を操り、「赤い彗星」の異名をもつ、

シャア・アズナブルは、

まさに、宇宙時代のレッドバロンといえるでしょう。

 

リヒトホーフェンの戦いは、ロマンをもって、人びとに語られました。

西部戦線異状なし」が語るように、地上戦においては、

すでに、大量殺戮の現代戦が繰り広げられていますが、

かろうじて、空中戦においては、

西欧の騎士道精神が、生きていたということなのでしょう。

以後の戦争になると、殺戮のスケールは巨大になり、

無慈悲な無差別攻撃も、当たり前になり、

ロマンの入り込む余地もなくなってしまいました。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。