さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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誤算の積み重ね

よしをです。

近衛内閣の外相、松岡洋右は、
幼い頃に、アメリカで困窮生活を味わった苦労人でした。
第二次大戦前夜、かれは、アメリカの謀略を見抜いており、
その実力も熟知していました。
松岡が主導した、日独伊三国同盟締結は、
アメリカとの戦争を回避するために、
日本が強国ドイツと手を握り、アメリカを牽制するという、
乾坤一擲の策略でしたが、結果的には、最悪の結果を招きました。
松岡は、ドイツの実力を見誤っていたのです。

アメリカが、資源を持たない国である、ドイツや日本を相手に、
長期戦に持ち込めば、負けがないことは、わかっていました。
真珠湾攻撃の報告を受けたとき、松岡は自宅で号泣したといいます。
かれにも、戦う前から、日本の敗戦がわかっていたからです。

中国大陸で、無軌道に進軍する陸軍と違い、
日本海軍は、陸軍よりは、多少は理性的でした。
山本五十六が思い描いていたのは、日露戦争日本海海戦でした。
日米の海軍の兵力差は、約1:30です。
この決定的な兵力差を埋めるためには、
日本列島に大挙襲来するアメリカ艦隊を、
新型戦闘機(ゼロ戦)や新型魚雷(酸素魚雷)や優秀な操船技術によって、
短期決戦で打ち破ることが必要でした。

緒戦で打撃を与えられれば、
1年程度は、持ちこたえることができるかもしれない。
真珠湾に向かう前に、山本五十六は語っています。
その間に、イギリスが降伏するなど、世界情勢が変化して、
外交交渉で終戦させる可能性もあると考えていたのです。
いずれ長期戦になれば、物量で劣る日本軍が必ず負けることを、
少なくとも山本五十六は、わかっていました。
したがって、山本は、勝ち逃げする方法を考えていましたが、
本当に必要だったのは、まったく別の発想でした。

実際に戦争がはじまると、資源を確保するために、
東はハワイから、南はニューギニア、西はインドまで、
戦線は、制海権をどんどん拡大していく方向にすすみました。
緒戦の日本海軍は、連戦連勝でしたが、
戦線拡大によって、後戻りできなくなる、
泥沼の長期戦へと突入する結果となりました。
日本海軍は、アメリカの罠に嵌ってしまっていたのです。

日米の物量の差によって、戦況に影響が出始めたころ、
山本五十六は、自らが搭乗する偵察機が撃墜されて戦死し、
日本の危機を訴えることのできる、力のある軍人はいなくなりました。
あとは、雪崩を打つようにして、後退戦に転じると、
日本は、望みのない玉砕戦に突入していくことになりました。

他者(この場合、戦争の相手国)へ自分の未来を預けることは、
絶対に、やってはいけないことです。
しかし、松岡洋右山本五十六も、アメリカに期待してしまったのです。
ところが、アメリカは最初から、日本を潰すことが目的なのですから、
最初から、かれらの目論見が通用するはずはなかったのです。

あの時代の日本が、戦争を回避することは、
現実的には、難しかったとも思います。
しかし、組織のトップは、あれほどの惨劇を招くまでに、
「どう勝つか」、ではなく、「どうやって負けるか」を、
考えておかなければなりませんでした。

日本軍の失敗を、ビジネスにたとえると、よくわかります。
もし、自分の金であれば、
失うリスクも想定してから、営業計画を立てたはずです。
金の使い方を誤ったのは、
それが、所詮は、「他人の金」だったからです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。