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辰砂

よしをです。

史上はじめて、中国全土を統一した秦の始皇帝は、
やがて、不老不死を願うようになりました。
始皇帝の命で、官民総出で、各地に妙薬を探し求めました。
東方に派遣された徐福は、3000人の童男童女とともに船出をし、
蓬莱の国へ向かい、日本にたどり着いたという伝説もあります。

2002年に、湖南省の井戸から発見された大量の木簡のなかに、
始皇帝が、中国各地で不老不死の薬を探すように命じた布告や、
地方政府からの返答が含まれていました。
たとえば、ある村では、
そのような妙薬は見つかっていないが、引き続き調査する旨が、
また別の村では、
地元の霊山で薬草を採取したので、不老不死の効果があるかもしれない、
といった手紙が含まれていました。

始皇帝は、結局、49歳で亡くなるのですが、
不老不死の妙薬として、猛毒の水銀を服用していたという説もあり、
それを裏付けるような記述が、司馬遷史記にもあります。

始皇帝は、自らの陵墓を生前から用意していました。
史記によれば、地下に建設された陵墓には、
広大な空間の天井には、天体を模した装飾がされ、
まるでジオラマセットのように、城や建物がつくられ、
水銀の川が流れていたといいます。

1974年に、農民が始皇帝陵を発見しました。
伝えられるような、装飾や城、宝物などは、
すでに盗掘されていて、発見できませんでしたが、
そのかわりに、無数の兵馬俑が見つかりました。
学術調査により、始皇帝陵から採取された土から、
自然界では考えられない、高濃度の水銀が発見され、
司馬遷の記述が事実であったことが裏付けられたのです。

水銀は、自然界では、
おもに、個体の状態で採掘されることが多いのです。
辰砂という赤い鉱石で、個体の硫化水銀です。

水銀は面白い性質をもっています。
赤い鉱石である辰砂を熱して、ある温度に達すると、
硫黄分が分離し、銀色の液体金属である水銀ができます。
水銀をさらに過熱すると、
酸化反応がおこり、赤黒い砂状の物質に変化(酸化水銀)し、
さらに過熱すると赤黒く変色し、
最終的には、酸素と分離して、ふたたび液体状の水銀に戻るのです。

陶磁器に色付けをする場合、
青や黒、緑などで模様や絵を描くのですが、
赤色や黄色といった暖色は、とても難しい発色です。
辰砂は、非常に貴重な、赤い色付けができるというわけで、
中国のほかに、李朝陶磁でも、さかんに導入されましたが、
辰砂は、水銀を含んでいるため、
食器や酒器として使用する場合は、少々気になります。

漢方薬では、辰砂を、「朱砂」、「丹砂」などと呼んで、
鎮静や安眠薬として、現在でも使用されているそうです。
辰砂は、難溶性なので、直接服用しても、
ほかの水銀化合物のような毒性はないということだそうですが。

時代が下がり、中国の元の時代には、
水銀を使わない、辰砂釉が発明されました。
この時代には、すでに、水銀の有毒性が知られていたのでしょう。
この釉薬を、釉裏紅といい、
水銀のかわりに、銅化合物が使われました。
赤い発色のためには、焼成温度の調整が難しいといわれていますが、
清の時代になって、美しい深紅の発色が完成しました。


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