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分断国家と民族自治区

よしをです。
日本の教科書には、
分断国家として、ドイツ、朝鮮、ベトナムが挙げられています。
このうち、朝鮮以外は、民族統一が達成されていて、
残る分断国家は、南北朝鮮だけということになっています。

モンゴルは、一般的には分断国家としては認識されていません。
それは、内モンゴルが独立国家ではなく、
民族自治区という立場であるからです。

第二次大戦末期の1945年2月、クリミア半島のヤルタで、
チャーチルルーズベルトスターリンが会談し、
第二次大戦の戦後処理について、議論をしました。
日本の戦後処理については、北方列島のソビエトへの所属とともに、
モンゴルを、南北に分断する密約が交わされました。

モンゴル人民共和国は、ソビエトが参戦すると、満州に進軍し、
内モンゴルを開放しましたが、ヤルタ会談の密約によって、
同地域は、中国の統治に組み入れられてしまいました。
モンゴルは、民族統一の目的のために戦ったにも関わらず、
タダ働きをさせられたうえ、はしごを外されてしまったのです。

戦後、内モンゴルには、自治権を与えられましたが、
文化大革命において、
「日本に協力した罪」として、虐殺がおこなわれました。
人口150万人のモンゴル人のうち、
34万人が冤罪で逮捕され、3万人が殺害されたのです。
この弾圧には、漢族の民族的な復讐の意味が込められていました。
モンゴル帝国支配への憎しみや屈辱感からくる、
一種の民族的アレルギーによる過剰反応であり、
中国の為政者には、モンゴル民族から、
再起の力を永遠に削ぐ意図が、あったのだと考えています。

中国には、5つの民族自治区があります。
新疆ウイグルチベット自治区では、民族弾圧が進行中ですが、
内モンゴル自治区の民族問題は、ほとんど話題になっていません。
なぜなら、内モンゴル広西チワン族自治区(後述)では、
すでに、文革期に徹底的な弾圧が完了していたからです。

広西チワン族自治区では、文革期に20万件の冤罪事件により、
名前が判明しているだけで9万人が殺され、
合計で20万人以上が、殺害されたといわれています。
残る民族自治区である、寧夏回族自治区においても、
新疆ウイグルでおこなわれているイスラム教弾圧が、
広がりつつあるといわれています。

こちらも、機会があれば、また、取り上げてみることにしましょう。
中共の行いは、あまりに罪深いのです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。