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ウイグル族という人々

よしをです。

8~9世紀に、中央アジアに広大な帝国を築いた、
回鶻(かいこつ)という民族集団がいました。
唐の時代に、回鶻の帝国は滅亡し、
人びとは、モンゴルから、現在の新疆に移住させられました。
当時、新疆地域は、アルタシャハル(六城)とよばれていました。
回鶻は、土着の人びとと混血がすすみ、
10世紀以降、その多くがイスラム教へ改宗しました。
これが現在に続く、ウイグル族のルーツです。

17世紀に、仏教徒ジュンガル汗国が、アルタシャハルを征服しました。
18世紀になると、清王朝は、ジュンガルを征服し、
清は、この地区を、フロンティアを意味する、「新疆」と名付け、
アルタシャハルに住むイスラム教徒は、清に属しました。

ウイグル族という呼称は、
新疆の中国への帰属に抗う運動のなかで登場したもので、
かれら自身は、東トルキスタンの呼称を望んでいます。
ソビエト連邦が、ウイグル族の独立を裏面で支援し、
東トルキスタン共和国が、
1933年と1944年の2度にわたって独立を宣言しましたが、
中国に制圧され、いずれの政権も短命に終わっています。

中国共産党が大陸を掌握し、新疆を自治区に指定し、
毛沢東の指導のもと、
チベット同様、ウイグル族アイデンティティを奪う、
民族抹殺活動をすすめました。

中国政府は、
ウイグル族の人口2100万人の新疆ウイグル自治区に、
800万人から1500万人ともいわれる漢民族を移住させて交雑をすすめ、
固有の言語や文化を禁止し、
特殊警察や公安を投入し、多くのモスクを閉鎖し、
150万人のウイグル族強制収容所に入れて、
かれらを「教育」しています。

ウイグル族の人びとが、中国からの分離主義であるという証拠はなく、
かれらのほとんどが、静かな生活を望んでいました。
それにもかかわらず、中国政府が弾圧や迫害をすすめた結果、
ウイグル族の独立心を燃え上がらせ、
テロリストを育てたという事実は、隠しようもありません。

もともとの中国の発想は、
中国とソビエトにまたがる広大な地域に点在するイスラム教徒が、
反共主義のもと、集結する恐怖があったのでしょう。
しかし、ソ連崩壊によって、巨大なイスラム主義国は誕生せず、
民族ごとに分かれて、それぞれがあらたな国をつくりました。
中央アジアイスラム教国」の成立を心配する必要はなくなったのです。

それにもかかわらず、中国がウイグルを恐れるのは、
漢民族のDNAに刻まれた、異民族への恐怖に違いありません。
中国は、匈奴鮮卑柔然、回鶻(ウイグル)、突厥契丹女真
モンゴル、韃靼などの異民族の襲来を度々受け、
そのたびに王朝が衰退したり、滅んだりする歴史を繰り返しました。
現代のウイグル族弾圧の理由は、
8世紀に唐をおびやかしたウイグルが、
また再び、中華をおびやかすかもしれないという、
民族的な恐怖心なのだと思います。

しかし、万里の長城を築くのではなく、
民族そのものの抹殺を図るという戦略は、人間として許されざる罪です。
わたしは、
やがて、中国自身が、その罰を受けることになると考えています。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。