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オリンピック延期の主張に思う

よしをです。
東京オリンピック組織委員会理事の高橋治之氏は、
武漢肺炎の影響で、開催が難しくなった場合、もっとも現実的な選択は、
開催を1~2年延期することだという見解を示したそうです。
大会中止、あるいは無観客で開催した場合、経済的損失はあまりに大きく、
1年以内の延期は、MLBやNFL、欧州サッカーなど、
主要プロスポーツの日程と重なるため、避けるべきとの見方を示しました。

いかにも、元電通マンのいいそうなセリフですが、
大変残念ながら、勝手な話をされては困ります。
今年中に開催できないなら、延期するのではなく、中止すべきなのです。

古代ギリシアでは、
多くの神々を崇めるため、4大競技祭が開催されていました。
そのなかでも、最大規模の祭典が、
紀元前9世紀にはじまった、「オリンピア祭典競技」でした。
オリンピアは、全能の神ゼウスの聖地であり、
この、ゼウスを祀る祭典競技が、古代オリンピックにつながりました。

古代ギリシアでは、都市国家(ポリス)の戦いが絶えませんでした。
宗教儀式としての意義が大きいオリンピックは、
戦争を中断させる意義をもっていました。

オリンピック開催期間は、聖なる休戦期間とされていました。
古代ギリシア最高位の神であるゼウスを祀るために、
各ポリスは戦争を中断して、大会に参加しなければならず、
ギリシア中から、武器を捨てた競技参加者や観客が、
ときには敵地を横断して、オリンピアに集いました。

紀元前146年に、ギリシアローマ帝国に併呑され、
オリンピックもしばらくは存続しましたが、
紀元392年には、テオドシウス帝がキリスト教を国教に定めたことで、
ギリシアの宗教行事は、異教のものとしてすべて廃止され、
古代オリンピックも、同年の293回大会を最後に、
一旦終了してしまいました。

あれから1500年が過ぎ、1896年に、ギリシアアテネで、
第1回の近代オリンピックが開催されました。
オリンピックと、ほかのスポーツイベントとの決定的な違いは、
古代ギリシアのオリンピックの意義がそうであったように、
大会開催の目的が、世界平和を祈念するものだということです。

1916年のベルリンは第一次大戦のため、
1940年の東京は日華事変、1944年のロンドンは第二次大戦のため、
それぞれ大会が中止しています。
オリンピックは、世界平和を願っておこなわれてきました。
したがって、戦争を止められない場合は、開催しないのです。

この原則は、戦争以外の要因に関しても、適用されるべきでしょう。
世界中のさまざまな環境から人間が集まることによって、
疫病が広がる可能性が高いのであれば、
それもやはり、世界平和を祈念するオリンピックの哲学に、
反することになります。
したがって、今回の東京大会では、選手や観客の安全が保障できない限り、
開催すべきではないのです。
(無観客でおこなうならば、まだ納得できます)。

オリンピック開催は、
4年を一区切りとするオリンピック暦(オリンピアード)で決められています。
これが定められたのは、紀元前8世紀のことです。
オリンピックは必ずオリンピアードの初年におこなわれ、
その年の大会が中止ならば、残りのオリンピアード期間中には開催されず、
次のオリンピアードの初年に開催することになっています。
これは、古代ギリシアでも、近代オリンピックでも変わらない鉄則です。

なぜ、鉄則なのかといえば、オリンピアードは神事だからなのです。
神事に理屈は必要ありません。
日本の伊勢神宮には、1300年続く、式年遷宮という行事がありますが、
20年という式年には理屈はありません。
なぜなら、これも神事だからです。

もし、4年を1サイクルとするオリンピアードの鉄則を破ってしまえば、
オリンピックは平和を祈念する宗教儀式としての意味を失います。
開催国の都合で、オリンピアードの決まりを破ることは、
反平和主義であり、宗教儀式の冒涜になるということなのです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。