さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

日本の仏教と芸術 短考

よしをです。
島国である日本と、大陸文明の典型的な違いのひとつは、
石に関する感性の違いだと思います。
エジプトやメソポタミアギリシア・ローマなどは例外なく石の文明であり、
その価値観は、ヨーロッパにも広がりました。
隣国に目を向けても、中国では、敦煌や雲崗・大同石窟寺院など、
朝鮮では、新羅・慶州の石窟庵など、多くの仏教文化が花開きました。

日本の古墳時代から飛鳥時代にかけても、
大陸との交流によって石の文明が伝わり、
有名な斑鳩の石舞台など、数多くの遺物が残されています。
翡翠の勾玉なども、日本の石製品文化の典型でしょう。

日本への仏教伝来にあたって、
大般若経」という、500巻以上の膨大な量の経典と、
そのエッセンスともいえる「般若心経」が伝わりました。

釈迦が入滅してから500年以上が経ち、
あたらしい宗教運動である、大乗仏教の流派が生まれました。
大乗仏教をつくったのが、どんなグループだったのか。
仏陀入滅後、おそらく複数の仏教流派が生まれたなかで、
ある一派が、「般若経」という一連の経典をつくり、
たくさんつくられた「般若経」のなかから、
「般若心経」が生まれたという流れがあったのでしょう。
日本の仏教は、この「般若心経」が基本になっています。

「般若心経」の重要な結論にあたるのが、「色即是空」の教えです。
「色」とはエロスの意味ではなく、色あるもの、即ち物体のことであり、
すべての「色」は、例外なく「空」、即ち空虚なものであるという意味です。
人や動物のような生き物に限らず、
世の中のすべての文物や物質は、永遠に存在し続けることはなく、
すべては変化し、消滅していく運命にあるというのが、
仏教における宇宙の真理なのです。

日本仏教における「色即是空」の哲学は、
半永久物質である、石や宝石に対する見方の変化にも及び、
これらの永遠の物質に執着することは、
むなしい行為であるという導きを得るようになります。
その結果、日本では、仏教伝来以前にあった、石の文明が廃れ、
うつろいやすい、紙や木材や陶器への傾倒がすすみ、
貴金属や貴石などの装飾品が、貴人の持ち物から姿を消し、
すべての寺院が木造建築になり、
多くの仏像は金属から木造にかわりました。

「色即是空」は、茶道の侘びさびにも通じます。
茶道は、華美で刹那的な美しさには重きを置いていません。
使い込まれた道具の変化や劣化は、むしろ美であり、
割れた器さえも、修繕してから、なおも使い続けられるなど、
文物の滅びゆく姿を、美しいと感じる文化を育んでいきました。

人が生きていくのも同じことです。
長い時間のなかで、消滅の過程にあるのが、人の一生であって、
先人たちは、いつ死ぬのかわからない、人間の一生のなかで、
現在という一瞬を、一期一会として大切にしていくことが、
大切だと考えたのでしょう。

日本人の誰もが、敬虔な仏教徒だというわけでもなく、
その哲学を本当に理解しているわけではありません。
わたしも、その凡百のひとりですが、
日本人のDNAには、「色即是空」の思想が、無自覚のうちに刻み込まれ、
美しいものを美しいと感じる感性は、連綿と受け継がれているはずです。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。