さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

孔子の時代

よしをです。
紀元前770年に、周王朝周辺諸国に侵略されて東方へ逃れ、
その権威は、急速に衰弱していきました。
諸侯は自立の傾向を強め、互いに争う乱世になっていきました。
秦の始皇帝によって統一されるまでの、
約500年におよぶ戦乱時代は、春秋戦国時代と呼ばれています。

孔子(名は丘、字は仲尼)は、
春秋時代の小国・魯の曲阜(現在の山東省)に生まれました。
15歳で学問を志し、30歳で思想を確立したといわれています。
孔子は、理想とする社会の基礎に、「礼」をおいていました。
国が荒れ、人心が乱れた世界において、
「礼」を立て直すために、道徳的な心情である「仁」を強調し、
堯、舜など、古代の名君のように、
天命を受けた君子の徳で、天下を治めるべきだと考えました。

古代の「礼」を復活させ、
政治と倫理・道徳を関連させて政をおこなうという思想自体は、
実際に、このような徳目に従って国家運営がおこなわれれば、
理想的であることは間違いないのですが、
当然ながら、現世では、人の欲望や悪意など、さまざまな思惑が交錯し、
その通りにはいかないものです。

孔子と同時期に、ギリシャ哲学、仏教、キリスト教が誕生しました。
ソクラテスが主張した「徳」や、仏教の慈悲、キリストの愛といった、
人が生きるための、理想や慈愛を説く哲学や宗教が、
ほぼ同時に生まれたのは、偶然かどうか、わたしにはわかりません。
ひとついえることは、
これらの思想は、理想であるが故、その教えの矛盾を突き詰めることが、
その信奉者や信者にとって、永遠のテーマになったということです。

儒教では、親を敬うことが、「孝」として奨励され、
親が亡くなると、喪に服す期間が3年にもおよびました。
喪主は、白い服を着て声をからして泣き叫ぶなどの作法により、
体力が衰えて、ボロボロにやせ衰えると、
その姿が「孝」であるとして、称賛されるようになり、
過剰な服喪が、いつしかパフォーマンス化していきました。

また、上下関係の秩序を重んじる儒教の教えは、
いつしか、目上の者には媚び、目下の相手には傲慢に接するという、
差別意識を生む結果になり、
長幼の秩序の重視は、長男が無能で次男が有能であっても、
後継者になるのは長男であり、
次男は努力をしても、報われることがありません。

「孝」や「義」の思想のもと、同族を重んじる儒教では、
一族の誰かが殺されれば、報復するのが当然とされています。
しかし、反対の立場からすれば、自分が報復されないためには、
相手の一族を、皆殺しにしなければならないことになるのです。

孔子の弟子たちは、
その思想を、人間生活に実現することは叶いませんでした。
それどころか、上掲の例のように、孔子の教えには、
実社会での運用においてさまざまな不便や矛盾があり、
様式化、形骸化し、個人生活や社会全体の硬直化を招きました。
畢竟、理想的な人の生き方を、
数々の言葉(人生訓)として後世に残したことが、
本人が望んだかどうかは別にして、
孔子の、ほぼ唯一の、功績とよべる功績だったのです。

わたしは、孔子の名言のなかでは、
「過ちて改めざる これを過ちという」、「一を以って之を貫く」の2つが、
好きな言葉です。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。