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有名人の不倫報道について

よしをです。
有名人の不倫騒動に対する世間の反応について、
違和感を覚えることが少なくありません。
ワイドショーの常套句である、「謝罪」や「反省」についても、
当事者間で、話し合いをして、もし自分に非があれば、
できるだけの償いをしなければならないのは常識だとしても、
涙ながらに、「世間の皆さんに、ご心配とご迷惑を…」などと、
広く社会全体に謝罪する必要があるとは思えません。

有名人の不倫報道について、謝罪や反省を求める声が多いのは、
才能に恵まれたアーティストの美人タレントとの不倫といった類の、
スキャンダルに関して、密かな羨望があるところに、
マスコミが、奇妙な正義感を振りかざして騒ぎ立て、
大衆が見事に乗せられてしまうという構造に起因しています。
畢竟、それは大衆の心の奥底に、
他人を貶めることに、快感があるということなのでしょう。

既婚者にとって、夫婦関係の根源をなす「誠実」というのは、
夫婦それぞれが、さまざまな誘惑を退けて、守るものです。
もし、自分自身に不倫願望があるとするなら、
それを実行に移せないために、
他者の不倫を激しく叩くことになるのもしれません。
あるいは、配偶者の前で、
有名人の不倫の「悪」を、徹底的に攻撃することによって、
自分には、「悪」が存在しないという証明をしたいのかもしれません。
そうであれば、いかにも下品な振る舞いです。

ニーチェは、「道徳の系譜学」のなかで、
「復讐を、正義という美名で聖なるものにしようとしている」、
と指摘しています。
他人を道徳的に攻撃することは、愚かではあるが、快感なのです。

道徳の特徴は、その理由を説明できないところにあります。
あるアメリカの心理学者が、
「実の姉妹と避妊したうえでセックスすること」、
「捨てられていたアメリカ国旗でトイレ掃除をすること」、
「自動車事故で死んだ愛犬を買主が食べること」について、
それぞれ道徳的かどうかを尋ねたところ、
すべての人が、それらを不道徳であると即断しましたが、
その理由を説明できた人は、ひとりもいませんでした。

これらの不道徳と感じる行為に共通しているのは、
三者には、迷惑をかけていないという事実です。
不倫も同じことで、当事者間の問題ではあっても、
三者に迷惑をかけているわけではありません。
当人同士の関係にすぎないところに、
三者ルサンチマンを持ち込むことは、適切ではないのです。

ちなみに、
ニーチェのいうルサンチマンとは、簡単にいうと、こういう感情です。
「ちぇっ。いい気になりやがって」


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。