さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

日本人の結婚観と幸福度

 

よしをです。

 

アメリカのシンクタンクがおこなった、

世界43か国を対象にした調査によると、

日本の幸福度は、100点満点中43点でした。

アメリカが65点、ドイツは60点などとなっていて、

日本の幸福度は、先進国の中で最下位に位置しています。

 

一般的に、GDPと幸福度は相関性があるといわれているので、

日本の場合は、かなり特殊な傾向を示しているといえます。

調査では、日本人の幸福度が低い特殊要因として、

謙虚な国民性や、慎重にリスクを回避する傾向、

和を尊重する協調主義などが挙げられていますが、

わたしは、別の要因のほうが大きいと考えています。

 

この調査自体が、アンケート形式になっていることもありますが、

そもそも、幸福度については、個人差があります。

小さなことにも喜びを見つけられる人もいれば、

大金持ちでも、常に不満をもっている人もいます。

歳を経て、物欲がなくなったとか、

仕事よりも、余暇に生活の重点をおいているなど、

屁理屈のようですが、

必ずしも、生活水準と幸福度が正比例するという訳でもないでしょう。

 

ただし、一般的にもいわれていることですが、未婚者の幸福度が、

既婚者よりも低い傾向があることは、間違いなさそうです。

ある大手結婚相談所のデータでは、

既婚者の場合は、ほぼすべての世代で、

男女ともに、80%以上が幸福であると答えていますが、

未婚者の場合では、

男女ともに、40歳代で、幸福と感じるのは35%程度となっています。

 

日本人の深層心理には、

結婚をするのは常識であるという、根強い結婚規範があります。

これが、ともすれば未婚の男女に、

結婚できないことは不幸なのだという、欠落感を植えつけるのです。

 

結婚規範は、自己有能感や、自己肯定感の有無にも直結しています。

自己有能感とは、自分が優れているという自負心のことで、

自己肯定感とは、自分のことを好きかどうかという、自己愛の表現です。

 

独身男女では、一様に、

自己有能感が高い人ほど、自己肯定感が強い傾向があります。

逆にいうと、「有能でなければ、自分を愛せない」、ということです。

世の中は、優秀な人ばかりではありませんから、

畢竟、自己有能感と自己肯定感のいずれもが、低い結果になります。

 

一方で、既婚男女では、自己有能感が低くても、

自己肯定感は、必ずしも、低くない場合が多くなります。

つまり、自分の能力はそれほどでもなくても、

自分のことは愛しているということなのですが、

これは、自分以外の家族が、

自分に対して、愛情を抱いてくれるという確信があるため、

自己肯定感が高くなっているということを示しています。

(わたしが、結婚に対して肯定的な考えをもつ理由でもあります)。

 

結婚願望のある女性(30~40歳代)のセリフに、

「相手はいないけど、すぐに結婚したい」というものがあります。

わたしは、結婚を肯定する立場ですが、

それでもこれは、結婚さえ手に入れれば、

幸福がやってくるという安易な思い込みかもしれないと危惧します。

 

要するに、結婚を選択するのであれば、その結果だけではなく、

結婚によって、家族との絆を構築できるかどうかが、

本人が、幸福感を味わえるための必須条件になるのです。

 

幸せの形はさまざまです。

もし、結婚を選択しなくても、趣味であれ、仕事であれ、社会貢献であれ、

その人なりの生きがいを見つけることが、

人生を実り多いものにするために、重要なことだと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

OYOLIFE(オヨライフ)の挑戦

よしをです。

 

インドの格安ホテル運営会社OYO(オヨ)は、

既存のホテルと契約し、予約サービスやマネージャー派遣などの、

サービスを提供する見返りに、

フランチャイズ料金や収益分配を受けるモデルで急成長し、

2013年の創業から、わずか2年で、

インド最大手のホテルチェーンに急成長しました。

現在は、インド、中国、ネパール、マレーシアなどに展開し、

2018年には、はじめて日本に進出しました。

 

日本国内へは、ホテルだけではなく、

賃貸住宅事業にも進出(OYO LIFE オヨライフ)していて、

すでに、一部でサービスを開始しています。

 

オヨライフの賃貸事業は、面戸な手続きをすべて排除します。

WEBサイトで、入居したい部屋を選んで、

必要事項を入力すれば、それだけで契約完了です。

保証人や審査は一切不要、不動産会社への仲介手数料も不要です。

電気、ガス、水道のライフラインの契約は、オヨライフがおこないます。

部屋には家具家電が完備され、入居者は、体ひとつで引越完了です。

入居者の負担は、家賃と共益費、そして退去時の清掃代だけです。

 

オヨライフの特徴は、

普通の不動産会社がおこなっている仲介ではなく、

自らが物件を借り上げて転貸する、サブリースを採用していることです。

宅地建物取引業法では、物件の概要や契約内容が記載されている、

重要事項説明書について、契約前に、

宅地建物取引士が対面して、説明する必要があります。

2017年から、IT重説の採用により、

テレビ電話などを介した説明方法が解禁されたため、

それらのサービスを利用すれば、重要説明を受けるために、

不動産会社に来店する必要はなくなりましたが、

それでも、契約成立時には、書面を交付しなければならず、

完全な契約の電子化にはなりません。

 

しかし、これは、仲介業のルールであって、

自己物件の賃貸や、それに準じたサブリースの賃貸の場合は、

営業行為としての不動産賃貸とされないため、

宅建業法が適用されません。

(つまり、面倒な重要事項の説明が不要です)。

 

実は、サブリースの宅建業法からの除外は、グレーゾーンなのですが、

最近、何かと話題のレオパレスは、サブリースを展開し、

直営店では、先行してすでに、

宅建業法に則らず、賃貸契約の電子化をおこなっています。

オヨライフも、レオパレスの例に従い、契約の電子化をすすめています。

 

オヨライフの物件の家賃水準は、周辺相場よりも、高めの設定です。

したがって、単なる手続きの簡略化だけであれば、

家賃が割高な分、競争力や魅力に欠いてしまいます。

 

しかし、オヨライフの戦略は、

従来の不動産賃貸とは、まったく異なる考え方から成り立っています。

オヨライフは、若者をターゲットにして、30~90日までの短期利用で、

点々と住居を変える需要を、見込んでいるのです。

 

利用日数を30~90日に設定しているのは、

30日未満の利用は、旅館業法に抵触する可能性があることと、

90日を超えると、一時使用目的の建物賃貸借と認定され、

電子契約ができないというリスクがあるからです。

そのため、90日を超えて住み続ける場合には、その時点から、

あらためて書面で定期借家契約を結ぶ必要があります。

 

オヨライフの成否のカギは、

日本の社会に、短期間の住み替えが根づくかどうかにかかっています。

現状では、日本の社会において、

住居を点々とすることを希望する層は、さほど多くはないと考えますが、

さて、どうなるでしょうか。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

韓国に同情してはいけない

 

よしをです。

 

慰安婦合意や徴用工裁判、レーダー照射事件など、

立て続けに日韓関係が悪化する事案が続出し、

とくに、徴用工裁判については、

日本側からの報復の具体化の可能性が高まるなど、深刻な事態です。

 

これを、一方的な韓国側の挑発だとして、

国民感情を沸騰させるような主張が、

融和的な考えに代わって、大勢を占めるようになってしまったのですが、

もう少し冷静になって、ここに至った理由や、

日本側の対応の不手際について、思いを巡らせてみたいと思います。

 

これまでも、日韓の交渉の歴史においては、

日本が強く出そうになると、韓国側が折れて、

猶予期間を求めるといった事例が、繰り返されてきました。

さまざまな利益のぶつかりにおいて、

日本側が一旦、矛を収めたり、妥協すると、

いきなり手のひらを返して、嘘を重ねて、日本を非難したり、

自国の要求を、既成事実化するような動きをしてきます。

 

これは、日本の道徳からは、信じられないような裏切り行為です。

日本の常識では、約束破りをすれば、二度と相手から信用されないし、

それ以前の問題として、約束を守れないのは、「恥」です。

 

しかし、韓国では、約束破りを恥じる文化はありません。

韓国(朝鮮)としては、これは、古来から現代まで継続している、

大国に対抗し、生き残るための戦術なのです。

 

清時代まで、朝鮮では、

自国の王も、中国王朝の許可がなければ、決めることができず、

王は、中国の使節を土下座して迎え、

美女を献上して、王朝を維持してきました。

自国の政権を維持するためには、どんな嘘でも平気でつくし、

他人に責任転嫁することも、躊躇なく、おこなってきたのです。

 

したがって、

韓国では、時間稼ぎやごまかしについてといった、

外交戦術には、悪い意味で秀でていて、

日本はこれまで、何度も煮え湯を飲まされてきました。

 

最近でも、象徴的な例がいくつもあります。

レーダー照射事件や、国会議長の天皇陛下侮辱発言など、

韓国は、政官、軍をあげて、嘘を重ねて、日本を侮辱してきます。

そもそも、慰安婦問題については、

1990年代の河野談話において、

当初、韓国政府は、慰安婦募集への日本国家の関与を認めれば、

それで、問題をすべて終了させるといっていたのです。

 

朝鮮民族の狡さについて、さすがに旧宗主国の中国は、熟知しています。

かれらは、徹底して、朝鮮を力で押さえつけてきました。

しかし、それでも、先述のように、朝鮮は手を変え品を変え、

中国を手玉にとろうと、必死で戦ってきました。

それが、朝鮮半島の歴史であり、

日本人のメンタリティでは、到底理解できない、

韓国人の行動となって、表れているのです。

 

日本人の曖昧な態度は、韓国に、日本に対して何をやっても構わない、

という誤ったメッセージを与え続けてきました。

しかし、ここに至ってついに、

日本政府が、徴用工裁判に対する報復を検討しはじめています。

国民感情を考えた場合、政府は、もう後戻りはできないでしょう。

 

しかし、この根本的原因をつくったことについては、

日本の曖昧戦術があったことを、素直に認める必要があります。

しかし、贖罪意識や同情によって、それを許してきたのも日本です。

これから、正常な2国関係を築くためにも、

日本は、国としても、国民一人ひとりの自覚においても、

決して、韓国に同情してはいけないのです。

 

 

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盆栽泥棒

 

よしをです。

 

わたしの、ささやかな趣味のひとつが盆栽です。

といっても、大したものはありません。

いわゆる小品といわれる、樹高15センチ以内の盆栽を所有していますが、

枯らしてしまった盆栽も多く、手元にあるのは、黒松が3つあるばかりです。

 

花や実のなるものや、紅葉を楽しむもの、樹形の面白さを楽しむものなど、

サイズの大小も含めて、盆栽には、いろんな楽しみ方がありますが、

なかでも、松柏といわれる、松(黒松、赤松、五葉松など)、真柏、杜松が、

最高峰だといわれています。

 

黒松の場合、夏には葉切り、冬には古葉とり、秋には給肥、

春には2年ごとの植え替えなど、年間を通じて、いくつかの作業があり、

季節に関わりなく、針金掛けなどで、樹形の維持や改作をおこないます。

 

盆栽の主な産地としては、さいたま市川口市高松市鬼無地区、

栃木県塩谷市や真岡市、愛知県岡崎市などが有名です。

また、高価な盆栽を購入するだけでなく、

時間はかかりますが、種を拾ってきて育てたり、

自生する木を採取することによっても、盆栽を楽しむことができます。

かつては、山中に入り、崖などに自生する、変わった樹形の木を、

無許可で採取する盆栽家も多かったようですが、

最近では、自然保護がうるさくいわれるようになり、

ハンターのような人は、少なくなったようです。

 

盆栽の栽培が盛んな埼玉県で、高価な盆栽の盗難が相次いでいます。

昨年11月には、さいたま市北区の盆栽園から、

2000万円相当の、複数の真柏盆栽が盗難の被害に遭いました。

同一犯かどうかはわかりませんが、

今年1月にも、埼玉県川口市の老舗盆栽園から、

真柏や黒松を狙った盗難事件がありました。

樹齢400年をこえる真柏の名品も含まれていて、

被害総額は数百万円にのぼるのだそうです。

 

盆栽園は、一般に公開されて、出入り自由にしているところが多く、

広い盆栽園では、園主の目が届かないことも多いと思います。

したがって、盗難は、比較的容易だといえますが、

どの鉢が高価なのかは、趣味人にしか、判断できないこともあって、

監視の目も緩みがちになりがちです。

そして、盆栽のマーケットは、

たとえば骨董品と比較しても、はるかに小さく、

販売ルートが限定的なので、盗品の転売が、非常に難しいのです。

 

しかし、世界的な盆栽ブームもあって、

最近になって、急に、盆栽の盗難が目立つようになりました。

監視カメラを設置している盆栽園も、増えましたが、

ほとんど、抑止効果がないようにも思います。

 

犯人像については、2通りが考えられます。

まず、盆栽のコレクターである可能性があります。

しかし、自ら保有したとしても、その作品をコンテストに出したり、

他人に見せることが一切できません。

コレクションとして、表に出さず、そのまま保有したとして、

自分が亡くなったあとには、困った問題がおこるかもしれません。

遺族が、その盆栽を処分する際に、

自業自得とはいえ、

自分が、盆栽の窃盗犯だったことがバレてしまう可能性があるのです。

 

もうひとつは、犯人が、悪徳同業者である可能性です。

盆栽というのは、すべて一点もので、同じものはありませんから、

コンテストに出品するような銘品盆栽を、処分しようとしても、

すぐにわかってしまいます。

しかし、樹形を大胆に変えてしまえば、

盗まれたものかどうか、わからなくなります。

実は、樹形を変化させるのも、盆栽のひとつの楽しみ方なのです。

昨今の盆栽ブームに乗って、

雑誌やイベントなどで、有名な盆栽作家が、枝を切り、曲げるなどして、

大胆な改作をするパフォーマンスが、披露されています。

力量はあるが、心の汚れた盆栽家が、

改作した作品を、転売する可能性はあるだろうと想像します。

 

盆栽は生き物ですから、愛情がなければ、うまく育ちません。

人の目から隠すように扱われたり、

盗品であることを誤魔化すために、無理やり改作されたとすれば、

わたしは、その盆栽が、気の毒でなりません。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

 

嫌な仕事をポジティブに変える技

 

よしをです。

 

サラリーマンを長く続けていけば、

誰もが、嫌な仕事や、不快な経験をするものです。

それを乗り越えて、頑張ることで、

社内外での評価を受けられ、やがて出世にも影響が出るでしょう。

 

わたしは、それほど、世渡りが上手な方ではなく、

ストレートな発言によって、多少の損もしてきたように思います。

しかし、卑怯な振る舞いをしないことを心掛けて、

信頼関係を保つことを第一に、仕事をやってこられたので、

決して負け惜しみではなく、

自らのサラリーマン人生には、何ら悔いはありません。

 

ただし、やや強すぎる正義感や、融通の利かない点については、

多少は不徳の致すところという自覚もあって、

仲のいい同僚や先輩、後輩などからは、

「もっと上手に振舞う方法もあるのに」、とアドバイスをもらうことがあります。

 

先日、仲のいい会社の後輩(Aくん)と、

夕食を一緒にする機会がありました。

Aくんは、非常に人当たりがよく、

誰ともうまく交渉ができる、大変人柄のいい人で、

そのことを、わたしがほめたところ、

「そうじゃないんです」とのこと。

詳しく話を聞いてみると、

アルコールの影響もあってか、Aくんは、本音を話してくれました。

 

かれは、他人に優しいのではなく、嫌われることが怖いというのです。

他人に嫌われたくないために、親切に対応しているだけなのだと。

逆に、わたしのように、

時には、遠慮なく、自分の意見を主張することについて、

憧れをもっているというのです。

話をしてみないと、わからないものです。

 

そのかれが、紹介してくれた、後輩のエピソードを紹介します。

後輩のBくんは、少し小難しいところがあって、

同僚と距離を置いていたそうなのですが、

最近急に、仕事に積極性が生まれ、

職場の誰とも、明るく接するようになったそうです。

 

Bくんが担当するメインの取引先については、

得てして、大きな取引ゆえの無茶なオーダーも多いのですが、

それらのややこしい注文にも真摯に対応し、

やがて、新規のビジネスが持ち掛けられるようにもなりました。

元々、Bくんの能力は高いのです。

周囲のスタッフも、

人が変わったようなBくんの姿に、感心していたといいます。

 

実は、Bくんには下心があったのです。

メインの取引先にお目当ての女性がいて、

彼女に好印象を与えるために、努力していたのだそうです。

その彼女の親友が、自分の会社の同僚だったため、

親友から彼女に、自分の職場での評判が伝わるように、

社内の関係づくりにも、頑張ったということのようです。

 

Bくんの恋は成就し、お目当ての女性との婚約に成功しました。

元々、下心が前提だったとはいえ、

そのおかげで、皆が恩恵を受けたわけですから、

下心も悪くないといえるでしょう。

 

たわいもない話ですが、Bくんの姿勢から、学ぶべきものがあります。

辛い仕事を前向きにすすめるためには、特別な技など必要なく、

「気の持ちよう」だということが、よくわかります。

 

 

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夢のエネルギー

よしをです。

 

大気中の二酸化炭素を回収して水素と合成し、

液体燃料をつくるという、

夢のような技術開発が、すすめられています。

 

産業革命以降、人類は、

エネルギーを、石油や石炭、化石性ガスから、抽出してきました。

21世紀になって、資源が枯渇するかもしれないという危機感のなか、

人類は、太陽光や、風力、波力などの、

自然エネルギー開発に力を注いできました。

 

ガソリンやメタノールなどの化学燃料は、炭素と水素が結びついたものです。

これらの物質を、自然の環境のなかから、

人工的に作り出すことについては、これまで、難しいとされてきましたが、

実現の可能性が、ようやく、少しづつ、見えてきました。

 

原理はこのようなものです。

水を、800度を超える高熱で電気分解して、

空気中から取り出した二酸化炭素と、

分解と化合を繰り返して、炭化水素物質をつくります。

なお、空気中から、二酸化炭素を抽出する技術が、

画期的なのだそうです。

 

抽出された炭化水素物質を、イーディーゼルといい、

ほとんど、ガソリンやエタノールと、同じ組成をしています。

イーディーゼルは、既存のガソリンやディーゼル燃料と混ぜ合わせても、

あるいは、そのままでも利用することができます。

 

イーディーゼルが、化石燃料とすべて入れ替わった場合は、

大気中の二酸化炭素を回収して、燃料を製造し、

排出されるのも、元々空気中の二酸化炭素ということになりますから、

完全なカーボン・ニュートラルの循環型社会が、

可能になることを示しています。

 

しかし、この技術を実用化するためには、いくつか障壁があります。

まずは、炭化水素を合成するために、

非常に大きなエネルギーが、

具体的には、大量の電気エネルギーが必要だということです。

もうひとつは、採算性です。

大量の電気エネルギーが必要なこともあって、

今のところ、コストが膨大で、実用性には、ほど遠いのが実情です。

 

欧米の研究所では、

太陽光などの自然エネルギーの生産コストと同じように、

炭化水素燃料への参入が増えてくれば、

将来的に、コストダウンを図ることは可能だとしています。

ひとつの産業として、1兆ドル(100兆円)規模に育てば、

次世代のエネルギー産業として確立する可能性が高い、と試算しています。

 

問題は、なんといってもコストです。

自然エネルギーについては、

個人的には、現在、開発構想があるといわれている、

宇宙太陽光発電が、有力だと思っていたのですが、

こちらもコストダウンが課題になっています。

 

人工炭化水素エネルギーは、カーボンコントロールができるという点で、

さらに地球にやさしいイメージが湧いてきます。

未来の子どもたちのために、

なんとか今世紀中の完成を願っています。

 

 

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印鑑文化

 

よしをです。

 

印鑑は、古代に起源をもつ、署名の一種で、

5000年以上前の、メソポタミアに起源があるといわれています。

当時の印鑑は、円筒型の外周部に文字や絵を刻み、

粘土板のうえに転がして押印するというものでした。

その後、印鑑は、おもに東方に広がり、中国に達しました。

秦の始皇帝が、篆書体(てんしょたい)という文字を全土に統一し、

それとともに、印鑑は、官印制度として確立しました。

その形状は、わたしたちが使っているものと、ほぼ同じです。

 

印鑑は、やがて中国を経て、日本にも伝わりました。

日本の最古の印鑑は、ご存知、「漢委奴国王」印(いわゆる金印)です。

その後、奈良時代には、官印(役所で使用される印)制度が導入され、

私印(個人の印章)も、奈良時代後期に生まれました。

その後、戦国時代には、

花押など、一種のサインが導入された時代もありましたが、

近世まで、印鑑は生き残り、

明治6年(1873年)に、実印制度が定められ、現代に至ります。

ちなみに、中国では、

最早、印鑑は土産物として残るだけで、公的な意味をもたず、

西欧と同じように、サイン文化に代わっているのだそうです。

 

IT、デジタル時代になり、印鑑の廃止を含めた見直しが、議論されています。

現在、印鑑登録制度があるのは、日本のほかには、

併合時代の名残として、わずかに、韓国と台湾に残るだけです。

韓国では、ハングルは画数が少ないため、偽造されやすく、

印鑑が、いわゆる日帝残滓とされていることもあって、

いずれ、近いうちに、廃止に向かうように思われます。

 

印鑑で気になるのは、やはり偽造の問題です。

実印ですら、その気になれば偽造は可能です。

ましてや、いわゆる三文判のような、既製品の印鑑ひとつで、

銀行口座を開設できるとか、預金を引き出せる、といったことについて、

わたしは、昔から、強烈な違和感を覚えていました。

複製技術の進歩で、印鑑の偽造が、ますます容易になった現代、

印鑑が廃止に向かうのは、不可避なことなのかもしれません。

 

西欧のサイン制度では、重要書類に署名する際には、

公証人が立ち会うことになっているケースが多いようです。

公証人は公務員で、署名の場に立ち会って、サインをする様子を確認し、

書き方が不自然でないことの確認を含め、

書かれたサインについて、本人のものであるという確認をするわけです。

 

サインの筆跡は、偽造が困難だといわれています。

この制度には、いちいち第三者の立ち合いが必要だという、

事務作業の煩雑さを伴う反面、

偽造可能な印鑑の捺印よりも、信頼度は高いといえるでしょう。

また、印鑑と違って、紛失するリスクがないという利点もあります。

ただし、個人的は、もし、これらの制度が日本に導入された場合、

日頃、サインすることに馴染みのない日本人が、

毎回同じサインを書くことは難しいのではないか、という懸念をもちます。

 

結局、印鑑の問題は、

それが文化として馴染みがあるかどうか、という問題だと思います。

個人が実印を押すのは、

不動産を買うときなど、ごく限られた場面に過ぎません。

したがって、実印を押すという行為は、

人生の重大な決断を実感できる、かけがいのない機会だと思うのです。

 

わたしは、母が亡くなったとき、その実印を、名前を彫りなおして、

家内の実印としてプレゼントしました。

いずれ、わたしが亡くなれば、実印を、子か孫に譲ろうと考えています。

 

日本のよき文化として、印鑑(とくに実印)は、残ってほしいと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。