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印鑑文化

 

よしをです。

 

印鑑は、古代に起源をもつ、署名の一種で、

5000年以上前の、メソポタミアに起源があるといわれています。

当時の印鑑は、円筒型の外周部に文字や絵を刻み、

粘土板のうえに転がして押印するというものでした。

その後、印鑑は、おもに東方に広がり、中国に達しました。

秦の始皇帝が、篆書体(てんしょたい)という文字を全土に統一し、

それとともに、印鑑は、官印制度として確立しました。

その形状は、わたしたちが使っているものと、ほぼ同じです。

 

印鑑は、やがて中国を経て、日本にも伝わりました。

日本の最古の印鑑は、ご存知、「漢委奴国王」印(いわゆる金印)です。

その後、奈良時代には、官印(役所で使用される印)制度が導入され、

私印(個人の印章)も、奈良時代後期に生まれました。

その後、戦国時代には、

花押など、一種のサインが導入された時代もありましたが、

近世まで、印鑑は生き残り、

明治6年(1873年)に、実印制度が定められ、現代に至ります。

ちなみに、中国では、

最早、印鑑は土産物として残るだけで、公的な意味をもたず、

西欧と同じように、サイン文化に代わっているのだそうです。

 

IT、デジタル時代になり、印鑑の廃止を含めた見直しが、議論されています。

現在、印鑑登録制度があるのは、日本のほかには、

併合時代の名残として、わずかに、韓国と台湾に残るだけです。

韓国では、ハングルは画数が少ないため、偽造されやすく、

印鑑が、いわゆる日帝残滓とされていることもあって、

いずれ、近いうちに、廃止に向かうように思われます。

 

印鑑で気になるのは、やはり偽造の問題です。

実印ですら、その気になれば偽造は可能です。

ましてや、いわゆる三文判のような、既製品の印鑑ひとつで、

銀行口座を開設できるとか、預金を引き出せる、といったことについて、

わたしは、昔から、強烈な違和感を覚えていました。

複製技術の進歩で、印鑑の偽造が、ますます容易になった現代、

印鑑が廃止に向かうのは、不可避なことなのかもしれません。

 

西欧のサイン制度では、重要書類に署名する際には、

公証人が立ち会うことになっているケースが多いようです。

公証人は公務員で、署名の場に立ち会って、サインをする様子を確認し、

書き方が不自然でないことの確認を含め、

書かれたサインについて、本人のものであるという確認をするわけです。

 

サインの筆跡は、偽造が困難だといわれています。

この制度には、いちいち第三者の立ち合いが必要だという、

事務作業の煩雑さを伴う反面、

偽造可能な印鑑の捺印よりも、信頼度は高いといえるでしょう。

また、印鑑と違って、紛失するリスクがないという利点もあります。

ただし、個人的は、もし、これらの制度が日本に導入された場合、

日頃、サインすることに馴染みのない日本人が、

毎回同じサインを書くことは難しいのではないか、という懸念をもちます。

 

結局、印鑑の問題は、

それが文化として馴染みがあるかどうか、という問題だと思います。

個人が実印を押すのは、

不動産を買うときなど、ごく限られた場面に過ぎません。

したがって、実印を押すという行為は、

人生の重大な決断を実感できる、かけがいのない機会だと思うのです。

 

わたしは、母が亡くなったとき、その実印を、名前を彫りなおして、

家内の実印としてプレゼントしました。

いずれ、わたしが亡くなれば、実印を、子か孫に譲ろうと考えています。

 

日本のよき文化として、印鑑(とくに実印)は、残ってほしいと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。