趣味について② ~蒐集のはじまり~
よしをです。
30代前半のころ、4年ほど東京で勤務しました。
ある日、銀座を颯爽と歩いていると、美術商のショーウインドーに目が留まりました。
手のひらにすっぽり収まる、温かさを感じるフォルム。
全体的に赤く焼けた器体を包み込むような、乳白色を帯びた釉薬。
ショーウインドーの照明の光を得て、魅力をアピールする数々の展示物のなかで、
わたしには、「それ」だけが、浮き上がって見えたのです。
店の雰囲気に気圧されながらも勇気をふるって、店内に入りました。
咄嗟に、わたしの口をついて出たのは、
「表のショーウインドーの、あれを、ください」という言葉でした。
値段は、130万円!
ちょうどボーナスが出たところで、
これまでの貯金を含めて、手持ちの現金でギリギリ買えることはわかっていました。
勿論、美術品の相場なんて知りません。
ただ、銀座のちゃんとした美術店で扱っている商品なのだから、
値段はともかく、偽物ではないだろうと判断していました。
店の了解を得てから銀行に走り、キャッシュコーナーでやや震えながら
現金をおろして、また店に戻り、
ついに、「北大路魯山人作 赤志野ぐい吞み」を手に入れました。
店の説明によると、作家物の場合、器体そのものに加えて、
箱がポイントになるということで、
その点、このぐい吞みは、魯山人自身の箱書きがあり、
価値が高いものだといいます。
わたしは上の空で説明を受け、店を後にしました。
入手後は夜な夜な箱から取り出して撫でさすったりし、
「人生の節目には、こいつで酒を飲もう」と、誓ったのでした。
(黒田陶苑さん、その節はお世話になりました)。
ここまでは、いい話ですが…。
しばらくは、魯山人で満足していたのですが、大阪転勤をきっかけに、
コレクター体質に火がついてしまう展開になりました(汗)。
関西は、東京以上に、美術店・骨董店が多く集まる土地だったのです。
そして、関西での蒐集活動が原因で、わたしは本格的に痛い目に
遭うことになるのですが…。
この続きは、いずれまた。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。