さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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趣味について③ ~李朝にハマる~

よしをです。

最初に入手したのが、魯山人作ぐい吞みだったので、

魯山人はじめ、有名作家の作品に注目するようになりました。

とくに、加藤唐九郎荒川豊蔵については、わたしの地元作家ということで、

時間のあるときに美術店を訪問(さすがに東京にはお店がたくさんあります)したり、

いろんな冊子や図録で作品を眺めたりして、ずいぶん勉強しました。

できれば、志野のぐい吞みを入手したいと思っていましたが、

実際に手に入れることはできませんでした。

なぜなら…、とにかく、高い!

荒川豊蔵の志野ぐい吞みが80~100万円ぐらい。

唐九郎は、有名な贋作事件(永仁の壺事件)に関わったことで、

美術界から追放されることになったのですが、作品の価値はむしろ高まりました。

おそらく現代作家では、唐九郎は最も評価の高い作家だと思います。

作品の多い魯山人に比べて、市場に出ることも少ないのですが、

某有名店では、ぐい吞みに350万円の値札がついていました。

 

わたしの蒐集のスタートが、古銭だったことはお伝えしました。

陶磁器への視線も、自然に古物へと変わっていきました。

値段も比較的手ごろだったことも大きな理由です(もっとも、ピンキリですが)。

大阪に転勤になったとき、外回りのついでに、ときどき骨董街を回りました。

サボってばっかりじゃないか、とお叱りをうけそうですが(汗)、

 

そこは、老松町(おいまつちょう)といい、JR大阪駅にも近い場所です。

骨董店が20店舗ほど並んでいて、それぞれ特色のある品揃えです。

ひと通り、お店探索をして、気に入ったお店を2軒みつけました。

ひとつは、朝鮮陶磁と東南アジアの陶磁器・仏像を得意にされているお店で、

複数の著作もされている、学究肌のオーナーのお店・A。

もうひとつは、看板にも「李朝」とうたっている、朝鮮古物専門のお店・B。

オーナーは、マニアが嵩じて、脱サラして骨董店をはじめられた方です。

 

「骨董は、備前李朝に極まる」、という言葉があるそうです。

いずれもシンプルな器体が特徴であり、

無釉の備前焼の場合は、焼き上がりの景色(色ムラ)や傷に価値を見る、

白磁李朝の場合は、器体のゆがみや釉薬の変化を楽しむ、といった具合。

骨董をつきつめると、失敗や傷など、作り手の意図や当時の評価とは

全く違う部分にフォーカスが当たるという…、ほとんど変態の世界です。

わたしの場合は、備前ではなく、李朝に魅せられていきました。

李朝には酒器が多い(見立ても含め)ことが、その理由です。

 

ここで、簡単に、朝鮮半島の陶磁器の歴史を説明します。

 

①古代~三国(1~7世紀)~新羅(676~892)時代

おもに、無釉の土器。後期に緑釉も。

②高麗(918~1392)時代

 象嵌が発達。辰砂(赤色を発色)、鉄絵(黒~緑)による絵付けも。

 青磁は高麗青磁といい、朝鮮陶磁の最高峰。

③朝鮮(1392~1910)時代  ※蒐集家は「李朝」という。

前期⇒粉青沙器(高麗青磁の流れ。発色はやや劣化)、

刷毛目・彫三島などの絵付けや象嵌も発展。

 中期⇒16世紀後半から、ほぼ白磁のみに。

 後期⇒時代が下がるとともに、白磁は品質が劣化していく。

 

骨董的価値では、②、③、①の順で、③の白磁については、

時代が古いほうが、価値が高いとされています。

考古学的価値では、古いほうに価値を見出すのでしょうが、

①はあまり人気がありません。

器体や景色が「やぼったい」からでしょう。

 

最初に李朝を入手したのは、A店でした。

③中期(おそらく17世紀との説明)の白磁徳利です。

やや厚みのある器体にクリーム状の釉薬がかかっています。

官窯ではなく、民窯の作とのことでしたが、温かみのある、ぽっちゃりとした

可愛らしい徳利です(写真もなく、うまく伝えられず、すいません)。

日本酒を入れると、1.5合ほどの独酌サイズ。

本来は日本酒用の徳利ではなく、化粧もしくは薬湯用の小壺だったのではないか、

という説明でした(これを「見立て」といいます)。

値段は10万円でした。

ひとつ手に入れると、次も欲しくなるのが人情(というか、性)。

一気に、欲しい欲しい病にとりつかれてしまいました。

そして、贋作との長い闘いが始まります。

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。