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道化師の系譜

よしをです。

 

日本の戦国時代には、御伽衆という、大名の取り巻きがいました。

諸国の噂話や、講釈や昔話を聞かせる、知識階級の人びとです。

豊臣秀吉は、多くの御伽衆を抱えていて、

政治向きに限らず、いろいろな物語をさせていました。

 

権力者が、知的好奇心から、風刺や笑いを求めることは、

洋の東西に限らず、世界中どこでも見られた現象です。

古代エジプトでは、ファラオを楽しませるための道化師がいましたし、

ヨーロッパでは、各国の宮廷で、専属の宮廷道化師が活躍しました。

 

ポーランドの有名な宮廷道化師スタンチクは、政治に関する冗話を披露し、

ドイツでは、オイレンシュピーゲルが、国内政治を風刺しました。

このように、宮廷道化師には、政治や世界情勢について、

辛口なコメントをすることも、許されていました。

また、17世紀のスペインの宮廷では、奇形児や小人が召し抱えられ、

話芸ではなく、歌や踊りやコントを披露しましたが、

かれらも、一種の宮廷道化師といえるでしょう。

一口に宮廷道化師といっても、政治から、いわゆる道化役まで、

活動の幅は、広かったようです。

 

宮廷道化師は、絵画に描かれることも多く、

その肖像は、たびたび犬と一緒に描かれています。

要するに、かれらは、愛玩犬と同じように、

王族や富裕層の所有物だったことを表しています。

 

道化師の風貌は独特で、ときには奇妙な化粧をしていました。

色鮮やかな縞模様の衣装をまとい、

動物の耳や、悪魔の角のような、風変わりなフードをかぶっています。

 

西欧で、もっとも道化師が発達したのはイギリスです。

14世紀以降、宮廷に限らず、貴族や富裕層、教会も道化師を所有し、

時代が下がると、居酒屋や売春宿といった場所でも、

客寄せのために、道化師が使われるようになりました。

宮廷道化師は、文芸や舞台にも取り上げられ、

リア王など、シェイクスピアの戯曲にも、しばしば登場します。

 

さて、日本では、

江戸時代になって、国政が安定すると、御伽衆の話芸に対して、

政治向きの物語ではなく、娯楽性が求められるようになりました。

「醒睡笑」という笑話集を編纂した、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は、

落語の始祖といわれている人物です。

また、中国から笑話なども伝来し、

それらを江戸や京、大阪などの街頭や、寺社のような聴衆が集まる場所で、

金銭をとって披露する、「辻噺(つじばなし)」という大道芸人も現れました。

落語と共に、講談や漫才も、広く庶民に知られるようになります。

時代は下がって、寛永年間(1800年ごろ)になると、

常設の寄席が誕生し、話芸が、庶民の娯楽として定着していきました。

 

当初は、権力者の独占であった、話芸のエンターテインメントが、

庶民に行き渡るまでに、長い時間がかかっています。

それは、識字率や教養の高まりを前提にして、

庶民の側に、知的好奇心が醸成され、

娯楽を嗜むための、金銭的余裕が生まれるまでに、

時間が必要だったからです。

 

日本では寄席において、

西欧では、劇場やキャバレーなどの酒場において、

あるいは、サーカスにおけるクラウン(ピエロ)として、

道化師は継承されています。

 

現代の道化師の活躍の場は、

テレビや映像系コンテンツに、無軌道に移行しています。

こうなると、残念ながら、娯楽はその芯を失い、低俗化が止まらなくなります。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。