プロ野球中継と落語「心眼」
よしをです。
ラジオが普及する時代になって、大衆娯楽は飛躍的に広がりました。
たとえば、野球中継が、その代表格です。
父親が若かったころ、自宅に、按摩さんを呼ぶことがありました。
いつも、拙宅に来てもらっていたのは、
先天性の全盲のマッサージ師さんで、プロ野球の大ファンでした。
父にマッサージしながら、贔屓のチームについて、
「あの選手は足が遅い」とか、「選球眼が…」といった話をしていたそうで、
父が、「目が見えないのに、なぜ、こんなに詳しいんだろう」と、
不思議な顔をして、笑っていたことを、思い出します。
健常者は、野球がどういうものか、知っていますから、
中継をラジオで聴いても、ゲームの雰囲気や展開を理解できます。
しかし、この按摩さんの場合は、途中から視力を失ったのではなく、
先天性の盲目なのですから、
健常者と同じように、ラジオ中継を楽しむことは困難です。
野球のルールは、人から聞いて知っていても、
王や長嶋や、星野仙一の顔は知りません。
グラウンドの土の色や、投手の投げるボールのスピード感、
ホームランの軌道や、ユニフォーム、スタンドの雰囲気もわかりません。
つまり、野球というものが、
かれの頭の中だけで出来上がっているのです。
野球のほかに、創成期のラジオを盛り上げたのは、落語でした。
落語は、会話だけでなく、所作(フリ)を含めての演芸ですから、
表情や体の動き、季節や演目に合わせた着物の選択など、
話術以外の見せ所はたくさんありますが、
話術だけを聴かせるラジオでも、充分楽しむことができます。
八代目桂文楽は、按摩さんの噺が得意でした。
演目のひとつ、「心眼」は、
三遊亭圓朝が、盲目であった実弟・三遊亭圓丸の実体験をもとに、
創作した噺です。
茅場町の薬師さまに信心して、目が見えるようになりました。
目が開いたことで、女房が不器量であることや、
自分が役者にもないくらいの美男子であることを知ります。
やがて、梅喜が、芸者といい仲になるのですが、
女房が目の前に現れて、首を絞められ…。
梅喜は、女房に起こされ、これらが全て夢だったことを知るのでした。
戦後まもなく、復員した池波正太郎は、
人形町の末広でおこなわれた、文楽の独演会で、「心眼」を聴いた際、
サゲの直前に、突然の驟雨が、寄席の屋根を叩いたといいます。
その雨音を、文楽が、暫し聴き入ってから、
「めくらてえのは妙なもんだ。眠っているうちだけ、よく見える」
というサゲで、しんみりと演じ終えたとき、
池波は、梅喜の胸の内を思い、思わず涙が流れたといいます。
落語は、客のイマジネーションを刺激する芸です。
甘納豆を食べるシーンを演じて、幕間に売店の売上を伸ばしたり、
冬の情景を演じて、客に寒さを感じさせることも可能です。
盲目の主人公の目が開いて、万物の景色に触れた際、
かれが何を感じるのか、そして、何が、かれを狂わせることになるのか、
客にイメージさせたいというのが、名人文楽の狙いなのでしょう。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。