さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

LGBTQという名の暴力

よしをです。

 

ある民放テレビ局のバラエティ番組のなかで、

性別がわかりにくい人に、性別を確認するという企画が放映され、

各所からバッシングを受けたことがありました。

許しがたい人権感覚の欠如という指摘に対して、

テレビ局側は、人権への配慮が足らなかったとして、

すぐに謝罪したということなのですが、

昨今のLBGTQをめぐる議論については、

個人的に違和感を覚えています。

 

最近は、テレビ番組やCMに、

同性愛者や性転換者が、多く登場するようになりました。

たとえば、男性である、マツコ・デラックスやIKKOが、

化粧品のCMに出演するというのも、時代の変化を感じます。

 

わたしの違和感は、かれらが、「普通の人」として、

画面に登場するようになったことにあります。

テレビ番組やCMへの登用自体を、

問題視するわけではないのですが、

かれらを、異形の存在であることを認めたうえで、

一般の人と公平に扱うことが、必要だと思うのです。

 

異形の人を認める社会になったことを、

社会の進歩として感じている一方で、

異形の存在が、あまりに当たり前になってしまっていることに、

不安を覚えるのも、一方の事実です。

異形の存在を、異形として感じ取ることは、

普通の人間の感覚のはずなのに、

現在の世の中全体に、その感覚をマヒさせる、

つまり、特異な存在を、まるで普通であるかのように受け入れさせる、

ある種の強制力が働いていることに、気味の悪さを感じるのです。

 

つまり、わたしは、差別はよくないが、

区別するという正常な感覚まで奪うことは、間違っていると考えるのです。

マツコ・デラックスやIKKOは、あまりにテレビでの露出が多すぎて、

わたしには、もはや女性としか思えません。

 

マツコ・デラックスやIKKOの、

聡明さや才能を否定するものではありませんが、

「性別の錯覚」は、特別な場所で楽しむべきなのです。

一部のショービジネスや、飲食店、

あるいは、テレビ番組なら、深夜番組などがそうです。。

 

LGBTQへの過剰な配慮は、正常な感覚を奪い、

とくに若い世代の人格構成のうえで、マイナスの影響を与えます。

男は男らしく、女は女らしく、という言葉が、

批判を浴びるような世の中には、

わたしは、将来性や魅力を感じません。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。