メメント・モリ
よしをです。
「メメント・モリ」とは、
ラテン語で、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」、
という警句です。
古代ローマでは、将軍の後ろに立つ従者が、
現在、絶頂期にある将軍も、
明日はそうであるかわからないということを、
将軍に思い起こさせるために、
「メメント・モリ」という言葉を発し、
将軍の驕りを諫める役割を担っていたといいます。
時代は下がり、メメント・モリは、
「(死を恐れず)今を楽しめ」という意味に、
とらえられた時代もありますが、
わたしは、本来の意味での死生観をあらわす言葉として、
ときどき、「メメント・モリ」の言葉を、
発してみることがあります。
わたしの父は、50代前半で亡くなったことから、
同世代の人たちと比べて、
わたしは、人間の死を、
身近に感じていたように思います。
そして、自分自身が父の年齢を超えたころから、
メメント・モリを、
本格的に意識しはじめたように思います。
人間の寿命を80歳として、
わたしに残された時間は、
あと20年と少々になりました。
これから、いかに有意義に
残りの人生を過ごしていくかが、
わたしの人生のテーマになりました。
周囲を見渡してみると、
いかに無駄な時間の過ごし方をしている人が多いことか、
思い知らされます。
人間関係や、やりがいを喪失しても、
なお、会社にしがみつく人や、
時間つぶしのために、定年後も会社勤めを続けている人、
金銭や地位への、汚い執着をみせる人たちを目にすると、
思わず同情したくなります。
つまり、こういう人たちは、
メメント・モリを自覚していないのです。
五代目古今亭志ん生の落語のマクラに、
「あたしは、酒をやめました。タバコもやめたよ。毎日、運動をしている。こういう人がいる。最近、ずいぶん顔色がよくなったと思ったら、自動車に轢かれて死んじゃった。そうなると、不養生して、自動車に轢かれないほうが、健康だということになる」
というのがあります。
落語としては、面白いですが、人間の生き方としては最低です。
わたしは、やけくそになったり、適当に生きることはしたくない。
その一方で、
人間、いつ寿命が尽きてもいいような心構えをしておかねば、
と思います。
「一日一生の境地には、まだ遠いですが(汗)。
そういえば、亡父は、
植木等のサラリーマン映画が大嫌いでした。
今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。