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出版社の衰退は必然だが悲劇的である

よしをです。

 

出版社や雑誌の存在理由は、

新聞やテレビにできないことをやる、ということです。

古くは、ロッキード事件をスクープした文藝春秋をはじめ、

ロス疑惑を扱った、週刊文春の「疑惑の銃弾」など、

雑誌は、その時代において、数々のスクープを連発しました。

おそらく、一連のオウム真理教事件の報道までが、

雑誌の黄金期だったでしょう。

週刊誌の売上部数のピークは、1997~1999年であり、

それ以降、部数は減り続けています。

 

最近では、週刊新潮の「食べてはいけない」シリーズなど、

短期的には、ヒットを飛ばした特集もあるとはいえ、

現役世代にフォーカスを当てた企画は、

ほとんど見当たらなくなりました。

 

以前、このブログでは、

最近の週刊誌の特集が、

成人病や相続、老人の性、健康問題、葬式や墓といった、

シニア向けの企画で占められていることについて、

それは、メディアとしての活力が低下している証拠であると、

お伝えしたことがあります。

 

雑誌編集者は、これまでも試行錯誤を重ねてきたのですが、

現役世代の文字離れや、可処分所得の減少など、

社会状況の変化もあって、

結局は、団塊世代と心中するしかないと決めたのでしょう。

 

多くの雑誌が低迷する中で、

週刊文春だけが、気を吐いています。

文春は、不倫や芸能事務所のスキャンダルなどに、

力を入れていますが、

これは、競合他紙の間隙を突く戦略でした。

競合社の、小学館講談社集英社は、

少年少女をターゲットにした雑誌や、

漫画雑誌を、発行しています。

これらの雑誌では、若いタレントを起用したいため、

かれらや、かれらの所属する事務所の不祥事を扱うことを、

避ける傾向があるのです。

しかし、残念ながら、このような小手先の戦術では、

雑誌全体の地盤沈下を止めることは難しいでしょう。

 

かつて、出版社に入社することは、

新聞社を落ちて、格落ちの会社に入るという、

マイナスイメージを持たれていたそうですが、

かえって、そのことが、出版社にとっては、幸いしました。

 

東大や京大などの一流大学を、学生運動や怠慢が原因で、

本来のエリート層からドロップアウトしたような、

頭脳は優れているが、社会常識からはちょっとズレている、

面白いタレントが、出版社に集まったのです。

 

時代は変わり、わたしの学生時代(1980年代)には、

優秀な学生が、

銀行や商社、新聞社、電通やNHKと出版社を併願し、

内定をもらった企業に就職していきました。

つまり、出版社は、エリート企業になっていたのです。

 

かつて、新聞社やテレビにはできないことを目指して、

ときには、危険一歩手前の

トリッキーな企画を繰り出すなどの、

冒険をしてきた雑誌が、

経営陣から若手社員に至るまでが、

すべてエリートで占められ、

野性味を失ってしまったことで、

冒険できない体質に変わってしまいました。

さらには、雑誌のメディアパワー自体の衰退と、

時期が重なってしまったことにより、

衰退速度の加速がすすんでしまいました。

 

これが、出版社の悲劇なのだろうと思います。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。