さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

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ユニクロCMと国家安康

よしをです。

 

ユニクロは、韓国で不買運動のやり玉にあがっていて、

いくつかの店舗が閉店になったニュースも伝えられています。

 

柳井正会長は、「日経ビジネス」へのインタビューに対して、

「日本は最悪、韓国の反日は理解できる」、と語り、

安倍首相への批判や、日本人の反韓感情に対しても、

苦言を呈しています。

このことは、韓国紙でも大々的に取り上げられています。

韓国国内でのビジネスの不調を回復したいという思いで、

必死のようですが、

柳井会長は、韓国内の反日無罪の非常識を、

軽く見ていたのかもしれません。

 

韓国国内でオンエアされている、ユニクロのCMについて、

いいがかりのような、

ディスカウントキャンペーンが起こっています。

 

おしゃれな老女が、

「わたしと同じころにはどんなファッションだったの?」、

と質問する女の子に対して、

「80年以上前のことをおぼえているわけないでしょう」、

と答えるという内容です。

 

何が問題になっているのかといえば、

この老女のコメントにある、「80年以上前」です。

つまり、その時代とは、

日帝占領時代を意味するというのです。

だから何だ、という程度の話だと思うのですが、

かの国では、さにあらずで、

これを言い始めた学生は、拍手喝采を浴びて、

ネットでは、若者を中心に、

このCMは、日帝支配を賛美し、

慰安婦を侮辱しているといった、

ヒステリックな書き込みで溢れかえっています。

 

日本企業は、

言いがかりにまで配慮しなければならないのかという、

呆れて物も言えないような思いにも駆られますが、

これは、日本を貶めるなら何をやってもいいという、

韓国の社会全体に流れる共通合意が、そうさせているのです。

 

わたしが思い出すのは、「 方広寺の鐘」事件です。

方広寺は、

松永久秀が放火した東大寺の大仏を再興するために、

1586年に、豊臣秀吉が京に建てた寺です。

当時の方広寺の敷地は、

妙法院から豊国神社、三十三間堂を含む、広大なものでした。

1591年には、大仏殿が建立され、

4年後には、6丈3尺(19メートル)の大仏が鎮座しましたが、

大仏殿完成の翌年(1596年)に発生した、慶長伏見地震で、

大仏が崩壊しました。

秀吉は、「自分の身も守れないのか」と、

大仏に対して、激怒したと伝えられています。

 

秀吉の没後、1599年に、豊臣秀頼が大仏復興を図りますが、

熱した銅から火事が発生して、

大仏殿も焼け落ちてしまいました。

まさに、ふんだりけったりですが、またも再興が図られ、

1614年には、大仏も完成し、巨大な梵鐘も完成しました。

 

ところが、徳川家から、

梵鐘の銘文にあった、「国家家康」、「君臣豊楽」の句に、

徳川家康の「家」と「康」を分断し、豊臣を君主とするという、

呪術がこめられているという、あらぬ疑いがかけられました。

勿論、家康は、呪詛を信じていたのではなく、

豊臣側を挑発して、

滅すためのきっかけをつくりたかったのです。

 

その後、大坂の陣が起こり、

豊臣家が滅亡するのは、歴史の知るところです。

 

韓国人は、何が目的で、挑発を繰り返すのでしょうか。

日本企業を挑発して、

撤退させようと画策しているのでしょうか。

しかし、その後のニュースでは、

ユニクロヒートテックが売れているとか、

ユニクロの店舗には人は少ないが、ネット販売は好調だとか、

かれらの主張とはアンバランスなニュースを耳にします。

 

かれらは最早、自分たちでも、

なにをやろうとしているのか、理解できないのかもしれません。

まるで、国ごと集団催眠にかかっているかのようです。

 

 

今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。