さあ来い 卒サラ!          ~悔いのないセカンドライフを目指して~

起業とか資格とか。趣味や思い出話など いろいろランダムに

西成暴動の歴史

よしをです。
東京の山谷地区、横浜の寿町と並んで、
大阪市西成区釜ヶ崎(いわゆる「あいりん地区」)は、
日本有数のドヤ街として知られています。

「あいりん地区」では、1960年代以降、度々暴動が発生しています。
その数、なんと24回。

1961年8月に、最初の西成暴動が発生しました。
日雇い労働者がタクシーに轢かれた交通事故の処理をめぐって、
暴動に発展したものでした。
その後は、夜間作業の求人が少なかったことに端を発したもの、
立ち飲み屋の支払いをめぐるトラブル、
火事現場のやじ馬が暴徒化した例など、
ちょっとしたきっかけで、不満が爆発した例が多いようです。
1970年12月30日におこった第9次暴動では、
新左翼運動家が、この暴動に介入し、騒ぎを大きくしました。
このころには、左翼の過激派や犯罪者が、
西成に潜伏し、騒ぎを扇動する例が多くみられました。

第24次暴動は、2008年の6月に発生しました。
わたしは、ちょうど大阪への転勤を命じられ、赴任した直後でした。
つい、10年ほど前の出来事です。
この暴動は、飲食店の支払いをめぐるトラブルによって、
日雇い労働者が、警察に連行されたことが原因で発生しました。
テレビのニュースで、労務者や活動家、不良少年などが加わり、
数百人に達した暴徒が、車に放火し、西成署を取り囲む映像を見て、
わたしは大変大きなショックを受けました。
まるで終戦直後のような状景だと感じました。

当時、取引先の方と、この話題をしたところ、
「最近、暑いからかなあ」、と、
まるで、何事でもないように話をされたのが、印象的でした。

当時、大阪にいたころには、
地元の方からは、あのあたり(とくに環状線の外側)には、
行かない方がいいといわれていたものでした。
実際に、足を踏み入れたことはありませんが、
都市伝説のような、ホントの話がたくさんありました。

この地区にあるコンビニのトイレには、現在でも、
「便器に注射器を捨てないでください」という張り紙がしてあるといいます。
店内に、いくつものモニターを並べて、
公営ギャンブルのノミ行為を公然とおこなう店が並び、
路上で普通に覚せい剤が売られているとか、
路上売春婦の値段が500円からという、ルポライターの報告もあり、
現在でも、その無法地帯ぶりには、あまり変化はないそうです。

いまでも潜伏している犯罪者や活動家がいるでしょう。
記憶の新しいところでいえば、
リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害犯の市橋達也受刑者が、
一時期、潜伏していたこともありました。

第24次暴動の後は、10年以上、西成で暴動はおこっておらず、
最近では、あのあたりは、外国人のバッグパッカーの宿になっています。
宿賃は格安で、数百円だそうですが、普通の日本人なら、
いくら安くても、こういう場所に泊まることは、想像できませんが、
バックパックをするような外国人にしてみれば、
もっと治安の悪い場所は、いくらでも知っているということで、
そんなに怖くないといったところでしょうか。
あるいは、物珍しさか。

かれらが、少しでも環境の浄化に役立ってくれるといいと思いますが、
なんにせよ、気になるのは、あの武漢肺炎の動向です。


今回も、このブログを読んでいただき、ありがとうございます。